10月5日に行われた「FIGHT CLUB2」で山口裕人選手と対戦し、判定0-3で敗れた。右肩肩鎖関節脱臼(1型)、右眼まぶた6針(抜糸済み)、顔面たんこぶだらけで顔を洗うのも痛い…などなど激闘、死闘はそのあと物語るとは良く言ったもんだ。

今回の試合は対戦相手を聞かされて以降、生きた心地がしなかった。知らない人のためにあえて山口裕人という選手を簡単に紹介しておくが、元WPMF世界スーパーライト級暫定王者であり、RIZINにも出場し元K-1WORLD GPスーパーライト級王者の大和選手とも対戦している。そして今回メインを務める予定だった木村ミノルにはKO勝利した過去もある。

と言うことで、とにかく強い!詐欺にあってとんだ損害を受ける抜けたところもあるが、格闘技に関しては本物中の本物である。その彼との対戦は恐怖であったが、その反面ではワクワクを覚える不思議な感覚にさいなまれていた。彼となら、武道という意味で本当に最高の殴り合いができるのではないか、と。

僕は基本対戦相手が決まると何かしらの怒りをあえて感じられるようにする。それは人を殴る上でそれくらいがないと怖いからだ。しかし、今回はその「怒り」が1ミリも湧いてこなかった。何をどう考えても怒りが湧いてこない。怒りが湧いてこないどころか、考えれば考えるほどリスペクトは増していき、最終的にはやっぱり大好きな選手なんだということに行き着く。

だから本当の意味で格闘家として殴り合いができるんじゃないかなと感じていた。それが恐怖の裏側でワクワクを感じることになったのだと思う。人生には避けて通れない道がある。それが今回の対戦だったのではないかと。彼とリングで向き合うために、今までのことがあり、彼とリングで向き合ったからこそ、これから訪れる何かに意味があるのだと感じている。

3分3ラウンド。僕は9分間のアーティストになると決めて、勝負の世界に身を置いた。リングの上で表現したいことがある。それはいつ何時でも、自分の人生は自分で変えられる。自分が思い立ったその日が一番若くて、一番情熱がある。

人は年齢や、やってきた実績で言い訳をすることがある。何歳だからもう無理、やったことないからできない、他人は簡単にできない理由を並べる。そしてその言葉に自分もうなずき、挑戦を諦める。気がつけば、戦うことなく、挑戦に背を向けて、挑戦すること自体から目をそらし、弱い自分を、情けない自分を見てみぬふりをしてしまう。

僕は常にこう考えている。自分がやりたいことは求められていること。誰もができることではないからこそ、自分がやりたいと思えているんだ。これはギフトなんだ。

40歳からJリーガーになろうなんて普通は思わない。それはそう思うことが求められていて、なれるかなれないかではなく、目指すことに意味を見いだされていたんだ。だから自分だけの力ではなく求められた力がそこにはあった。たくさんの批判があり、誹謗(ひぼう)中傷も絶えなかったけど、それでもやりきれたのは「意味」があったからだ。世間は求めなかったかも知れないが社会が求めたのだと思っている。

格闘家への転身もたくさん批判された。それは今でもある。でもこの試合を機に、賛辞も増えた気がしている。無謀な挑戦は希望に変わりつつある。そのためにはたくさんの恐怖と出会い、葛藤を覚え、何度も打ちひしがれる。その時に「悔しい」と思える者だけが挑戦の一歩を踏める。

だから後悔してもいい、ダサくても惨めでもいい。その時に思いっきり悔しがれるヤツは何度でも立ち上がれる。僕はその体現者でいたい。それをリングで表現するんだ。

人は変われる。自分の意思で強くなれる。意識を変え、行動を変え、言葉を変え、習慣を変えれば人格も変わる。年齢はただの数字で、実績や前例は過去なんだ。僕らは今を一生懸命、必死に生きている。生きていることを実感しているか?命あるその瞬間を実感しているか?当たり前だけど幸せはお金では買えない。買えるのは憧れだけだ。ただ、憧れを買ったところで、心の幸せタンクはいっぱいにはならない。

人間は醜くて弱い生き物だ。だから悔しがれる。悔しいという思いが人を強くしてくれる。恐怖や不安が人を成長させるんだ。山口裕人という人間が俺を強くしてくれた。山口裕人がいたから俺は何度も立ち上がれた。山口裕人とだから最高に激しい戦いができた。

裕人くんに感謝。ありがとう。

試合の入場前に雄たけびを上げて自分を鼓舞していた裕人を忘れない。人間臭くて、人間味があって、最高にカッコいい男と試合ができたことで、今こうして充実した日々がある。幸せをありがとう。これからも俺は挑戦者であり続ける。

◆安彦考真(あびこ・たかまさ)1978年(昭53)2月1日、神奈川県生まれ。高校3年時に単身ブラジルへ渡り、19歳で地元クラブとプロ契約を結んだが開幕直前のけがもあり、帰国。03年に引退するも17年夏に39歳で再びプロ入りを志し、18年3月に練習生を経てJ2水戸と40歳でプロ契約。出場機会を得られず19年にJ3YS横浜に移籍。同年開幕戦の鳥取戦に41歳1カ月9日で途中出場し、ジーコの持つJリーグ最年長初出場記録(40歳2カ月13日)を更新。20年限りで現役を引退し、格闘家転向を表明。22年2月16日にRISEでプロデビュー。プロ通算3勝1分け3敗。175センチ。

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「元年俸120円Jリーガー安彦考真のリアルアンサー」)

「FIGHT CLUB2」で対戦し、山口裕人(右端)に敗れて落胆する安彦考真(左端)(撮影・松尾幸之介)
「FIGHT CLUB2」で対戦し、山口裕人(右端)に敗れて落胆する安彦考真(左端)(撮影・松尾幸之介)