万里の長城のように長く高い塀が、東京をはるかにしのぐバブルを形成した。「隔絶された五輪」だった。
北京市内のホテル「ジンロンタン」。身長の2倍ほどある鉄の壁が外周を覆った。
ゴゴゴゴゴ。
黒服の警備員が不気味な音を立てて鉄扉を開ける。五輪のステッカーを貼ったバスやタクシーが、その門が開いたときだけ入ってくる。記者を含めた五輪関係者がホテルから出る、唯一の手段だ。
帰る際も同じ。北京の町や市民と接触することは全く出来ない。昨夏の東京五輪では外国人記者も、15分間だけならホテル近隣のコンビニに買い物に行けた。原則禁止されていた街頭取材も、なし崩し的に行われ、東京タワーに見学に行った選手もいた。
PCR検査も東京では原則4日に1回受ける義務があったが、受検しなくてもおとがめがないケースも散見された。一方、北京ではホテルの敷地内に検査場があり、毎日必ず受検しなければならない。
ルール、罰則をしっかり整備した後は各人の行動倫理に頼った東京。いわゆる「性善説」に立った考え方だ。一方、北京は強権的に「バブル」を形成し、ルールで五輪関係者を縛った。ボランティアら国内在住者も大会中はバブル内で生活。大会後にはなんと3週間も隔離されるという。日本であれば過剰な私権制限として非難されかねない。
東京五輪・パラリンピック組織委員会の幹部は「北京の覚悟がうかがえる」と語った。北京五輪組織委のスタッフの一部は東京五輪組織委に参加し、コロナ対策の知見を学んだが、数段高い規制強化を選択した。
18日に会見した国際オリンピック委員会のバッハ会長はバブル内の陽性率が0・01%だったとし「世界中で最も安全な場所だった」とお墨付きを与えた。
大会は本当に中国国民から歓迎されていたのか-。バブル内には当然、関係者しかいないから皆五輪に好意的だ。北京市民の生の声が聞けなかったのが残念だ。お国柄は違えどコロナ問題も含め、開催に反対していた市民も少なからずいたはずだ。記者として一方的な見方しか取材できない環境は好ましくない。
日本は30年に札幌冬季五輪招致を目指す。コロナ問題が続くとは思いたくもないが、必ずや諸問題が五輪を取り巻くだろう。
札幌市は3月、支持率調査を始めるというが、必ずや反対意見にも耳を傾けてほしい。東京大会では苦心しながらも組織委が国民の声を何とか反映させようとし、開催にこぎつけた。
北海道出身の参院議員でもある組織委の橋本聖子会長は招致意義について「アジアの玄関口、国際都市になった札幌に付加価値を付け、バージョンアップするために重要」と語った。今年中には開催地が決定するとみられ「開催能力を見て」と自信をのぞかせる。
取材で内側が見えないことはよくあるが、バブルの壁によって外側が見えなかった北京五輪。世界中のメディアが「光」の側面しか報じられず「影」は置き去りに、大会が始まれば新疆ウイグル自治区などの人権問題が影を潜めた。
札幌市はIOCから最低限必要な支持率は求められていないとし、秋元克広市長は反対多数の場合でも招致撤退を否定する。国際都市として発展を目指すのは夢がある一方で、その外側には必ず影が潜んでいる。光に目がくらんだ五輪にだけは、してほしくない。【三須一紀】