<柔道男子60キロ級五輪3連覇 野村忠宏(39)>

 自国開催の東京五輪に挑戦できる選手がうらやましい。6年あれば、真剣にスポーツをやっている子供たち、みんなにチャンスがある。今強い選手が必ずしも6年後に出場できるとは限らない。自分だって中学のときは、五輪3連覇はもちろん、出場することすら想像もできなかった。

 中学に入学したときの体重は30キロ。体が小さすぎて、柔道の稽古をさせてもらえない時期があった。みんなが乱取りする中で、ひたすら腕立て、背筋を繰り返す。中学1年のときは同級生の女の子に負けることもあった。体が小さく、力も弱い。きつい日々だったが、唯一の支えは背負い投げだった。

 子供の時、祖父から教わった得意技。試合では決して勝てない相手に、練習では何日か1回だけ、きれいに背負い投げを決める瞬間があった。「この技を磨き続ければ、いつか自分は変われる」と思えた。未来を感じさせてくれた唯一の宝物があったから、柔道を続けることができた。

 中学時代は地元奈良県でベスト16が最高。高校3年でインターハイに初出場したが、1勝もできなかった。軽量級で強い選手が出てくると「野村2世」と言われるけど、自分からみたら、その選手たちの方がエリート。だから逆に今勝てない人でも、強くなりたいとの気持ちを持ち続け、あきらめないでほしい。

 五輪3連覇後はギリギリの状態が続いている。08年北京大会前年に右膝靱帯(じんたい)を断裂。五輪出場権を逃したが、ひざを手術して治せば、まだ行けると思えた。12年ロンドン大会の出場もならなかったが、やめようとは思わなかった。自分には体に染みこんだ背負い投げがある。その宝物を生かす体をどう作るか。その課題が常にあるから、モチベーションは落ちない。

 先月は左膝の手術を受けた。来年初めにはランニング、来春には柔道の稽古も再開できそうだ。6年後の東京五輪には何らかの形でかかわりたい。日本のコーチなのか、海外チームのコーチなのか。でもやはり選手として出場することが一番いい。

(2014年11月19日東京本社版掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。