<ハンドボール日本代表 宮崎大輔(33)>

 04年のアテネから、北京、ロンドンと3回五輪に挑戦した。3回とも、思いはかなわなかった。今回はリオ。4度目の挑戦になる。日本代表に入ってから、五輪が夢になった。ずっと1点や2点の差で負けてきた。アテネ予選の時は同点だった。もう1点とっていれば出られた。

 ハンドボールはチームプレーと言われているけど、最後にシュートを放つのは個人。1つのフェイントもパスもシュートも、個人で成り立っている。そこをもっと伸ばさないといけない。個人がその能力をチームに貢献させてようやく強いチームができる。

 19歳で日本人で初めてスペインに行ったとき、かなりばかにされた。信用がなく、パスもこなかった。アウェーで試合に出ると観客に「チーノ、ウェーラ」と言われた。中国人はあっちへいけという意味。観客と選手の距離が近いと、つばが飛んでくることもあった。そんな中で、スタメンで出てやれたことは自信になった。世界一のリーグを経験してから代表のメンバーに入ったときはすぐスタメンだった。レギュラー争いがすごく簡単に感じたくらい。

 他競技から吸収することが多い。以前テレビ番組でボクシングの内藤大助さんとスパーリングをした。内藤さんがシュッと体を下げたので、打たれると思ってガードを下げた。瞬間にバンと上から打たれて、気づいた。身長2メートルの人が相手でも、1度下にいくと見せかけて上からいけばいいんだと。僕らの場合はガードがブロック。フェイントでガードを下げさせてからステップシュートに切り替える。スペインでの得点はこれが多い。これならいけると思って。以来、ステップシュートが得意になった。

 東京五輪にはもちろん出たい。そのときは39歳だけど。サッカーの三浦知良さん、スキージャンプの葛西紀明さん、野球のイチローさん、みんな年を重ねても最前線でやっている。自分もという思いはある。妥協は誰にでもできると言い聞かせている。妥協してライバルに抜かれるなんてことは、したくない。

(2015年04月08日東京本社版掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。