<日本サッカー協会アスレチックトレーナー/並木麿去光さん(48)>
サッカー五輪代表は96年アトランタ五輪から08年北京五輪まで担当しました。アトランタ五輪は、メキシコシティー五輪以来28年ぶりの出場だったため、参考になるものが少ない。でもアトランタ予選は選手、スタッフ全員が「行きたい」って言っていた。世界に飛び出したい、海外に行きたい、歴史を変えたいって。そこにつながるのが勝つことだってなった。その五輪予選より前にあったW杯米国大会予選の「ドーハの悲劇」も教訓になっていた。注目されながら負けて帰って来ると、こうなるのかって分かっていたと思う。
指導者は期待感で見ますが、こちらはだめなところを修正するのが仕事。ケガなどを予防する観点から、こういう動作が良くないとか話をする。その時に、明らかに態度が悪い選手がいる。育成から引退するまで一通り見ると、残る選手っていうのは分かるようになりました。やはり重要なのは人間性です。
アトランタの時の前園は「痛い」とは言わなかった。最終予選前の壮行試合で打撲しても「大丈夫」と言い続けた。でも試合後のシャワールームに呼ばれると「めっちゃ痛いんだけど」と言ってきた。タイで行われた1次予選では、相手は試合会場で練習し、こっちはデコボコの練習場。くぎも落ちていた。夜はホテルで水道工事が始まった。でも選手たちは「来た来たアウェーの洗礼 ! 」って楽しんでいたくらい。
五輪ではないけど、99年に準優勝したワールドユース(現U―20W杯・ナイジェリア)代表の時は、トルシエ監督の意向で直前合宿を、ブルキナファソのボボディラソでやったことも印象に残ります。バスタブはさびてて、シャワーの水もぽたぽたと出る程度。アイシングで使う氷は泥水を凍らせたもので、葉っぱやカエルが入っていた。だから開催地のナイジェリアは天国に思えたくらい。準々決勝で負けたブラジルは「ここはワールドユースをやる環境じゃない」って話してました。
サッカーはオフザピッチでもトレーニングができるというのは、そういうことなのかなと思うんです。ちょっとした時に起こる「え?」っていうことに対応出来ることで、試合中の「え!?」にも対応力が上がるはずです。(2015年9月30日東京本社版掲載)
【注】年齢、記録などは本紙掲載時。