<競輪界のレジェンド/神山雄一郎(47)>
自転車競技を始める前から「何の種目でもいいから五輪に出てみたい」と漠然と思っていたし、子供のころからの夢でした。ただ、僕は高校を出たら競輪選手になるつもりでした。でも、当時五輪にはアマチュアしか出られない。競輪選手、つまりプロになると五輪への「夢」が断たれてしまうんです。高校生にとって究極の選択ですよね。夢を捨ててプロになるか、かなり悩みました。
ところが、96年のアトランタ五輪からプロが解禁になりました。競輪選手だった僕は26歳になってます。正直「遅いよ!」って思いましたよ。「もう遅い」って…。すでにG1も勝っていたし、競輪界でも上のクラスにいた。自分が五輪を目指したくても「競輪のお客さんに失礼なのでは?」と思ったりもしました。相当、リスクはありました。それでも頑張れたのは、やっぱり子供のころからの「夢」だったからでしょうね。自転車競技と競輪は違うので練習も大変だし、何かと忙しかった。ただ、その時の練習や経験が後々、競輪にもプラスになりました。
96年のアトランタでは、1キロTTに出場して7位。こう言っていいのか分からないけど、楽しかった。覚えているのは開会式。入場行進の順番を待っていて、フィールドに入ったらムハマド・アリがいて、セリーヌ・ディオンが歌って…。テレビで見ていた舞台に来たんだと思いました。00年のシドニーは本気でメダルを狙っていたので、苦しかった思い出ばかりです。チームスプリントで5位入賞できました。日本発祥のケイリン(敗者復活戦1位失格)に出場したときは日本の意地とかプライドはもちろんありました。でも、日の丸のプレッシャーはなかったですね。普段はお客さんのお金を背負って走っていたけど、五輪は自分のためだけに走れたからです。
今の代表選手は競技と競輪で大変だと思いますが、自分のため、そして家族やサポートしてくれる人のために頑張ってほしいと思いますね。彼らとも対戦しますが、競輪は力だけじゃなく経験の有無が勝敗の鍵になる。単純な力勝負じゃないところが競輪の醍醐味(だいごみ)だと思います。
2020年の東京五輪の時に選手でいられるのはいいなあと思います。自国開催に出場できるんですから。あ、でも、僕だって今から東京を目指す可能性は、なきにしもあらずですよ(笑い)。今から頑張れば、まだやれるんじゃないかな、なんて思ったり…(笑い)。最後に、12月30日のKEIRINグランプリに出場が決まりました。とにかく頑張るだけです。応援してください!
(2015年12月2日東京本社版掲載)
【注】年齢、記録などは本紙掲載時。