<全日本プロレス社長兼レスラー/秋山準(46)>
五輪を意識したのは、大学(専大)に入ってからだったかな。高校からレスリングを始めて、最初の大会で決勝までいったんだけど、見た目強そうにないヤツに負けちゃった。それから自分の中で、レスリングを本格的に始めた。大学もレスリングで入って、もしかしたらボクも五輪に出られるんじゃないかという感じになったときもあった。
でも、全日本選手権で本田多聞さんと対戦したんだけど、全く歯が立たなかった。全日本選手権を何連覇もしていて、マットに上がる前から名前負けしてたね。それが、プロレスでは、ボクの方が先に全日本に入っちゃった。レスリングでは大先輩なんだけど、プロレスでは1年後輩。ボクは本田さんと呼んでいたけど、本田さんはボクらを先輩としてしっかり立ててくれた。五輪でもすごかったけど、人間的にもすごい人だと思ったね。
レスリング出身の人は、球技が苦手な人が多いけど、ボクは何でも一通りこなせた。両親が、興味のあることは何でもやらせてくれた。だから、小3まで金づちだったのに、小6で水泳の市の大会に出て記録をつくったり、剣道や、野球もやった。だから、個人的には団体競技には向かないと思うけど、団体競技でも陸上でも何でも興味を持って見ているね。
今の子どもは、小さいころから、いろんな競技に挑戦する環境がないような気がするね。自分は、いろんな競技をやってみんなできるようになったけど、一定レベルで終わっちゃった。五輪選手をつくるには、早い段階で、いろんな競技に挑戦できて、自分に合った競技を選べるチャンスを与えてあげられればいいと思うんだ。馳さんが文科大臣になったんで、ぜひそういう環境を整えてもらいたいね。
五輪で一番思い出に残っているのは、84年ロス五輪。開会式のロケットマンにはびっくりしたね。ボクは五輪の開会式に出てみたいと思うんだ。世界中から選ばれたアスリートたちと、あの空間を共有したらテンションが上がるだろうね。20年東京五輪は、ぜひスタンドで開会式を見たい。娘が空手をやっているので、空手は楽しみにしています。野球とソフトボールにも期待しています。
(2016年1月6日東京本社版掲載)
【注】年齢、記録などは本紙掲載時。