<TBSアナウンサー 林正浩(59)>
五輪実況をするアナウンサーもオリンピアンなんです。五輪放送はジャパンコンソーシアムというNHKと民放各社が共同制作するもので、アナウンサーも局を代表して派遣されます。日本のアナウンサーを代表して準備と誇りを持って現地に行って、日本選手の活躍だけじゃなく、世界的な選手の活躍を伝えるわけです。そういう意味で、五輪を自分の声で伝えるというのはスポーツに携わっているアナウンサーにとっては最高の目標と言ってもいいかもしれませんね。
五輪は、テレビとラジオを含め夏季3回、冬季1回実況を担当しました。夏季は、1992年のバルセロナをラジオ、2000年シドニーと04年アテネはテレビで行きました。冬は98年の長野です。
印象に残る実況は、いくつかあります。アテネの男子ハンマー投げで、室伏広治君が金メダルをとったのですが、競技中は銀メダルでした。それも28センチ差で。僅差で2位というのは、これも運がないというか、残念というか、4年に1度の五輪で勝つのは難しいなと思っていました。
しかし、1位だったハンガリーの選手がドーピング違反となって、後日、繰り上げで優勝者になったのです。日本で行われたスーパー陸上で、あらためて金メダルの授与式があったのですね。両方とも実況しましたので、その時はリベンジできたと思いました。
冷や汗をかいたこともあります。シドニーで女子マラソンの高橋尚子ちゃんが金メダルをとった時、インタビュー担当だったのですけど、尚子ちゃんがフィニッシュテープを切った途端、いなくなっちゃったんです。小出監督のところに行っていたのですが、ゴール付近で待っていた僕らは「尚子ちゃんのインタビューとれなかったら、日本に帰れない」って。何とかインタビューできたものの、真っ青になりましたね。
今月末には定年退職になります。今後もフリーアナウンサーとして活動を続けていきますが、20年には64歳ですね。何かお役に立てれば良いと思っています。チャンスがあれば放送に携わりたいです。それがスポーツアナウンサーとして今後の大きな夢ですね。生の五輪の空気を吸いたいですね。
(2016年3月23日東京本社版掲載)【注】年齢、記録などは本紙掲載時。