<84年ロス&88年ソウル五輪にボクシングで出場 三浦国宏氏(53)>
今年5月に故郷の岩手でジムを開きました。東京でずっとやってきたんだけど、ボクシング王国岩手の復活を目指したいと思った。帰るなら盛岡しかないしね。アジア、世界、そしてオリンピックと通用するような選手を育ててみたい。
初めてロサンゼルス五輪に出た時は大変だった。国体で平仲(明信)とかに勝つことしか考えていなくてね。で、優勝したら代表。ピンときてなかったんだけど、岩手から初のボクシング五輪代表ってことで地元岩泉で大パレードを行ってくれた。ジープ型の車が何十台も出てね。オリンピックってすごいなと思った。
でも肝心の五輪本番はどうやって試合をしたか覚えていない。あっという間に終わった。地に足がついていなくて、3Rにダウンを奪ったけど判定で1回戦で敗れた。まぁ減量から解放されると思って、選手村でたらふくステーキでも食べようと思ったんだけど国体に出ろって電話が来て食べられず。生殺しだったね。
それからソウルを目指すんだけど、ボクシングで五輪に2回出たのはヘルシンキとメルボルンの石丸利人さんだけ。3年か4年で世代交代して長続きしないとか、周りに三浦は終わったって言われるのが嫌で逆にやってやろうという気になった。ソウルも出て、30歳で挑むはずだったバルセロナ五輪。出場は確実って言われてたんだけど、選考試合前日のスパーリングで左目を切ってドクターストップ。前人未到の3大会連続出場ができなくて、悔しかった。だから五輪にいい思い出がない(笑い)。
アマで通算で218勝(28敗)挙げさせてもらったけど、プロにはなりたくなかった。誘いはもちろんあったけどボクシングに恩返しがしたかったんだよね。昔はプロになったら、アマチュアの指導者には絶対復帰できなかった。だから僕はアマにこだわったんだ。
僕の必殺技は「伝説の左フック」なんて呼ばれたんだけど、生まれたきっかけは右拳を骨折したから。左でしかパンチが打てなかった。でもマイナスを逆にとらえて、伸ばせばいい結果につながるってことなんだよね。
今、ジムには高校生とかが来てくれている。可能性を感じるよね。今の人はど根性とか嫌いだけどさ、やっぱり「粘りの岩手」とか東北の底力を見せたい。20年に向けて、岩手で大都会東京に負けないようにやっていきたいと思う。
(2016年7月27日東京本社版掲載)
【注】年齢、記録などは本紙掲載時。