ソウル五輪はプロへの扉を見せてくれた大会でした。高校(鳴門)から社会人(松下電器)に入って、当時はプロに行くなんて気持ちは全然なかった。出場すると決まった時も「まさか自分が」という感覚。一番年下(19歳)でがむしゃらに投げていましたが、やっぱり金メダルを取ることは至上命令、負けられない、という空気は常に感じていました。
野茂らと先発を任せてもらえたことで、自信はつきました。一緒に出場していたメンバーがドラフトで指名されたことで、おぼろげながらプロへの道も見えてきました。その時はまだプロに行きたいという明確な気持ちではなくて「このままいったら俺、指名されるかなあ?」くらいの感じでした。
ただ、それは大会が終わったあとの感覚で、プレーでは悔しさしか覚えてないです。中継ぎで出た米国戦(決勝)の8回。3―4で負けているところでティノ・マルティネス(元ヤンキース)に本塁打を打たれた。左打者の外角にきっちり投げた球を、左翼席中段くらいまで運ばれた。こん身の真っすぐ。正直ショックでした。大事な場面で食らったあの1発で追い上げムードをぶちこわしてしまいました。悔いが残る1球。他の試合で先発もしたんですが、その内容はほとんど覚えてないです。
五輪まで、外国人選手と対戦することはほとんどありませんでした。あの本塁打で、日本人相手では抑えられるコースが、本塁打にされる危険性があることを痛感しました。あの1球は、その後プロで投げるにあたって、糧になりました。
日の丸を背負うことは間違いなく、プラスになると思います。プロになると、どうしても自分の体が大事ですし、1番になってくる。それはもちろん重要なんですが、やっぱり「このチームのためには、体ささげます」という精神も忘れないでもらいたい。西武では高橋光、森、今井ら、年代的に脂が乗った時期に東京五輪を迎える選手たちがいます。3年後、金メダルを目指す舞台で、日の丸の重さ、でかさを感じて野球をしてもらいたいです。
(2017年8月23日東京本社版掲載)
【注】年齢、記録などは本紙掲載時。