高校(埼玉栄)時代から、メジャーよりも五輪に出たいという気持ちがありました。同級生に体操の加藤凌平くんがいましたし、2学年下には陸上の土井杏南さんもいました。同世代のさまざまな競技のトップ選手が目指している姿を身近に見て「オリンピックっていいな」と特別な思いを抱いていたことを覚えています。09年にはゴルフの五輪競技復活、そして13年には20年の東京五輪開催が決まりました。会場で同級生と再会できたらいいなと夢はさらに膨らみました。

 リオデジャネイロ五輪出場がかかった16年の全米女子オープンでは悔しい思いをしました(※注)。冷静に振り返ってみると、ジャッジだったり、全てのプレーが「五輪のために」となって、少しだけ視野が狭くなっていたのかもしれません。たぶん、五輪の切符がかかっていなかったら、最終日の18番も2オンを狙っていたと思うんです。せっかくの全米でしたし、もっと自分らしいプレーができれば…。ただ、五輪に行きたいという思いがモチベーションになって日本で頑張れた部分も間違いなくあるとは思っています。

 用具契約をさせていただいている縁で、東京五輪を目指す各競技のアスリートが集まった「チーム・ブリヂストン」の一員となりました。競泳の萩野公介さんのような金メダリストであったり、パラリンピックの車いすテニスの田中愛美さんだったり、年齢も近いですし、五輪を目指す選手の方々と話すだけでも大きな刺激になっています。

 東京五輪に出るためには、世界ランクで、日本勢2番手までに入る必要があります。昨年も予選会を受けようか迷いましたが、もともと米国で戦いたいと思ったのも、獲得ポイントの大きい米ツアーを主戦場とする方が、五輪に近づけると考えたからです。まずは今年、日本でしっかり結果を残すこと。米ツアーに挑戦してポイントを稼がなければならないのかといったことも含めて、今年、賞金女王に近い位置で争わなければ、その先は見えてこないと思っています。

(2018年1月3日東京本社版掲載)

【注】年齢、記録などは本紙掲載時。