僕は生まれた年が1964年で、東京オリンピックイヤーなんですよ。その頃から何か縁があったのかな。
84年のロス五輪は、プロを目指すターニングポイントになりました。5月にキューバ代表と戦う選抜メンバーを社会人から出すとのことで、2カ月前に浜松の日本楽器の合宿所に全国から40~50人集められて、20人くらいに絞られました。キューバとは8試合やって、僕が勝利投手になった1勝だけ。当時は国際大会があまりなくて「世界の中の日本」のレベルが全く分からなかったけど「日本の野球は大したことないぞ」と心の中で思っていました。
政治的なことでキューバが五輪をボイコットして、急きょ6月になって、日本が出るとなりました。社会人選抜に大学生も交ぜると聞いて「じゃあ外されるな」とぼーっとしていたら、左投手ということもあって、連絡が来ました。ちょうどその頃、都市対抗の予選で3日連続3連投して、うちの会社(川崎製鉄水島)が初めて都市対抗に行けた。でも僕は、五輪へ行くことになりました。
野茂より先にドジャースタジアムで投げたんですよ! エレベーターで8階まで上がって見たグラウンド。「じゅうたんみたいにきれいな芝をスパイクで踏んづけていいのか…」と感動しました。さすがアメリカン・ドリームだなとね。
韓国には宣銅烈、チャイニーズ・タイペイには郭泰源、米国にはマーク・マグワイア、シェーン・マックもいました。マックが巨人に来た時「俺はお前に勝ったんだぞ!」って冗談まじりに言ったね(笑い)。勝ち進んでいくうちに「俺らって強いんじゃね?」と自信をつけていきました。
でも決勝戦でガムを食べながら整列する米国に「強そうだな…」って。こちらは正直「負けても銀メダル」という気持ちもありました。僕はこの大会は主にリリーフで、決勝でも1イニング投げました。優勝した時は「日本の野球は世界の頂点にあるんだ」と証明できてうれしかったですね。背も小さかったしガリガリだったので、それまでプロは考えたことがなかった。でも帰りの飛行機の中で「俺たちみんなプロになれるんじゃねぇか?」って雰囲気になった。自信をつけさせてもらった大会でした。
個人的には、オリンピックはアマチュアの一番のイベントであってほしいと思います。基本的にWBCが野球の頂点でいいと思う。我々プロも、元々はアマチュアの選手。土台が大きくならないとプロもほそぼそとなってしまう。24年パリ五輪での落選は残念ですが、次の28年はロサンゼルス。ドジャースタジアムにまた行きたいですね。あの頃を思い出しながら。