【西武岡田雅利】ノーカット引退会見6,390文字「あんな中田翔は…」/連載113
今年も数多くのプロ野球選手が現役引退を決断しました。ファンやチームメートに愛された西武岡田雅利捕手(35)は、9月14日に本拠地ベルーナドームでのロッテ戦で、引退試合を行いました。試合前に臨んだ記者会見をノーカット版でお届けします。
プロ野球
◆岡田雅利(おかだ・まさとし)1989年(平元)6月30日、奈良市生まれ。大阪桐蔭では正捕手として2年夏に甲子園出場。3年春のセンバツでは中田翔(現巨人)とバッテリーを組みベスト8進出。大阪ガスを経て13年ドラフト6位で西武入り。21年オフにFA権を行使し3年契約で西武残留。プロ通算325試合、6本塁打、40打点、打率2割1分7厘。23年3月に球界でも前例がほとんどない「大腿(だいたい)骨・脛骨(けいこつ)骨切り術」を受けた。173センチ、80キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸1000万。
――改めて引退を決断した思いを教えてください
本当に11年という野球生活、そしてライオンズ11年ということで、本当に西武ライオンズ球団には感謝しかないという気持ちと、あとは膝のけがでなかなか活躍できなかったので、そこは本当に球団の方にはご迷惑をおかけしましたし。
自分の中ではそこは心残りなのですが、今は本当すっきりした気持ちで引退ということを迎えられるなという感じです。
――引退を決断したタイミングはどの時期でしたか
やはり自分の中でも、もう3度も手術させてもらって、今年自分の誕生日でもある6月30日に復帰できないということで、正直きついなという部分もありましたし。
チームもこういう状況で、そこがやっぱり厳しい部分だったところですし、9月までには話したいなという思いはずっとありました。
――まず最初に引退を伝えたのはどなたですか
まずは家族です。子供が3人いるんですけど、家に帰って引退すると話して、嫁と5人で引退すると言ったら、まず子供が泣いたっていう姿を見て、僕自身も苦しいところがありましたし、本当に家族には支えられたなと思っています。
――岡田選手にとって、ご家族の存在は野球人生においてどのような存在でしたか
本当に野球始まって、そこから社会人の時から支えてもらった妻。知らない土地に長年ずっと寄り添ってくれたので、本当に一番の理解者であるということですね。
――岡田選手は大阪桐蔭出身ということで、大阪桐蔭の仲間や後輩からどんなメッセージをもらいましたか
まず、同級生でもある中田翔に連絡して、電話した時にいつもふざけて話をするんですが、今回引退することになったという話したら、本当に真剣に聞いてくれて。
「今後どうするんだ」ということも言ってくれたし、あんな中田を見たのは初めてだったりっていうのがちょっとびっくりして。自分もちょっと電話越しあったんですけど、感無量になりました。
――改めて野球人生の中で一番思い出になった試合は
高橋光成と組んだ試合を前にも挙げさせてもらったと思うんですが、そこで山本由伸投手と投げ合って、そこで最終回までノーヒットで抑えたのは今でも思い出に残ってます。
あとは代打でバントしたというところで、中村さん、栗山さん、メヒアだったり。本当絶対ミスできないところで、そういうプレッシャーの中でやってきたのは今でもすごい思い出に残っています。
――近年は手術が続いて長いリハビリ生活だったと思いますが、その日々はどのように過ごしましたか
うーん。こんな状態で野球をやらせてもらっていいのかという思いが本当にありましたし。
まず歩行すら正直キツかった部分もありましたし、周りの方にはトレーナーのみなさんにもそうですし、本当に僕は周りの方に支えていただいたんだなということは、ありがたいですし、ここまで野球ができたのは自分の中ではもう奇跡だなと正直思っています。
――そういう中で岡田選手を支えた原動力は
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