【巨人梶谷隆幸】坂本勇人と一緒にできたことは楽しかったしうれしかった/連載140

巨人梶谷隆幸外野手(36)が10月23日、都内ホテルで引退会見を行いました。DeNA(前身の横浜含む)で14年、巨人で4年と18年間のプロ野球選手生活。度重なる故障と向き合いながら、「本当に幸せ者」と最後まで悔いなくやり切りました。

通算1064試合出場の980安打、126本塁打、441打点、162盗塁。決断の経緯、巨人、古巣DeNAへの思い、そして同世代の坂本勇人内野手(35)の存在などを語りました。

プロ野球

◆梶谷隆幸(かじたに・たかゆき)1988年(昭63)8月28日生まれ、島根県松江市出身。開星で3年夏に甲子園出場。06年高校生ドラフト3巡目で横浜入団。12年から主に遊撃を守って出場機会を増やすと、14年に外野手転向。レギュラーに定着し、同年盗塁王。20年オフにFAで巨人移籍。22年オフに育成契約となるも、23年3月に支配下復帰。180センチ、90キロ。右投げ左打ち。

10月23日の引退会見

10月23日の引退会見

「今年限りと腹を決めて決断しました」

(冒頭あいさつ)

昨日、今年限りで引退する報告をいたしましたので、今年限りということで腹を決めて決断しました。

まずは読売巨人軍関係者の全ての方々、4年間という短い間でしたけど、大変感謝しております。ありがとうございました。

そして、古巣であるベイスターズの関係者のみなさま。14年間もお世話になりました。本当にありがとうございました。

そして、ファンのみなさま、どんな時でも熱いご声援で、僕の背中を押してくれました。ありがとうございました。18年間。あっという間だったなあという18年でしたけど、本当に周りの方々に支えられて、今日こういう日を迎えることができて本当に幸せ者だなと感じております。

今まで僕を支えてくださった全ての方々に感謝申し上げます。ありがとうございました。

―引退を決めた経緯

とにかく体がついていかないのみで、決断をしました。少し前には決心は固めていまして、決めてからはさみしい気持ちはありましたけど、引き際かなと思いました。

ちょっと早めに決断をしていましたね。膝の状態が思わしくなく、なかなかうまくいかないのが続いていた。もう、これ以上はという気持ちはありましたね。

3月29日の阪神戦で2ランを放ち阿部監督に迎えられる

3月29日の阪神戦で2ランを放ち阿部監督に迎えられる

阿部監督「限界か、カジ」

―阿部監督からは

阿部監督に伝えさせていただいた時は「限界か、カジ」と言われまして。心中察していらっしゃるんだなと。何かこう、愛情を感じましたね。はい。

―チームメートには

まだチームメートにあいさつをできていない選手もいるんですけど、やっぱりさびしいといってくれる後輩もいました。

ともに戦ってきた仲間と野球をできなくなるのは、悔いは正直ないんですけど、寂しい気持ちはあります。

20年の巨人入団会見で原辰徳監督(中央)と笑顔を見せる。左は井納翔一

20年の巨人入団会見で原辰徳監督(中央)と笑顔を見せる。左は井納翔一

巨人に移籍「本当に良かった」

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