C大阪クラブ設立30周年イヤーの来季、不退転の決意で目指すは優勝、タイトルのみ/連載9
セレッソ大阪は来季、クラブ設立30周年の記念イヤーと銘打ち、シーズンを戦い抜くことになった。開幕からの指揮が3年目となる小菊昭雄(48)は、監督業の集大成としてタイトル獲得を宣言した。21年8月の就任から2年半、善戦しながらの無冠-という負の流れに終止符を打つ。(敬称略)
サッカー
〈プロ選手経験のないJ1指揮官の挑戦〉
「勝負の年にしたい」
大阪城西の丸庭園にて11月28日、C大阪は12月9日に迎えるクラブ設立30周年の記者会見を開いた。タレントのローランドや片寄涼太、OB大久保嘉人さんのアンバサダー就任が発表され、にぎやかな空気に包まれた。
小菊は不在ながら、決意は用意された映像で披露された。
「必ずタイトルを獲得したい。すべての経験をぶつけたい。そういう勝負の年にしたい」この翌日、改めて本人に胸の内を問うと、明確な答えが返ってきた。
「来年は30周年でクラブとしても大事な1年。私自身も3年目で勝負の年だと思う。クラブも強い覚悟を持って優勝を目指し、私自身も当然、勝負の年になる」
過去2年はクラブの公式目標をタイトル獲得としながらも、リーグ戦は3位以内といった言葉も添えられていた。今回はストレートに「優勝」「タイトル」の文字だけを並べ、思いは凝縮された。
21年8月にコーチから昇格した指揮官は、国内3大公式戦の結果は次の通り。
【リーグ戦】21年12位、22年5位、23年9位
【ルヴァン杯】21、22年準優勝、23年1次リーグ敗退
【天皇杯】21年ベスト4、22年ベスト8、23年4回戦
17年の尹晶煥(ユン・ジョンファン)監督時代に獲得したルヴァン杯、天皇杯の2冠以来、タイトルには届きそうで届かない。まだ見ぬリーグ制覇も、この2年は一時、優勝争いの手前まではいった。
特に今季、最終盤8試合で1勝1分け6敗と大失速。この8戦で挙げたゴールは、FWレオ・セアラの1点だけ。深刻な得点力不足に陥り、9月には4位に浮上して逆転優勝の号令を上げたものの、最終的に9位に後退して閉幕した。
「今季は非常に難しいシーズンだった。たくさんのアクシデント(故障)もあり、多くの選手が離脱することもあった。でもチームが一丸となり、穴を埋めて成長した選手もいた。来季はみんなで、積み上げたものをキャンプから競争し、攻守に強いチームにしていきたい」
12年半ぶりに復帰したMF香川真司こそ、唯一の全34試合に出場。だが、故障が続いた主将MF清武弘嗣は2試合、MF奥埜博亮は24試合の出場にとどまり、34歳の主力2人は不本意な1年だった。U-20W杯に出場した19歳のFW北野颯太も9月下旬以降、けがで戦列を離れた。
GKキム・ジンヒョン、DF山中亮輔、MF為田大貴らも長期離脱し、夏に広島へ移籍したFW加藤陸次樹を含めれば、異様な編成を強いられた。逆にいえば、残された選手で屋台骨を支えて、全体の経験値は上がった。
課題と収穫
「(今季の経験で)チームの競争、若返りも含めて、しっかりとした軸ができたと思う。攻守においてチーム作りはできた。そのベースにあとは、どれだけ上積みしていけるか、強いチームにしていけるか。それが来年の私の仕事です」
監督は成績次第で、真っ先に責任が問われる。最近の監督は、尹晶煥、ロティーナが各2年、レビークルピは8カ月の短命政権に終わった。現在の小菊は日本人最長政権を更新中とはいえ、まだ2年4カ月が過ぎたばかりだ。
「勝てば優勝争いやトップ3に加われる、重圧のかかる大切な試合に、とことん勝ちきれなかった。いろんな意味で(神戸など)優勝するチームの強さを痛感したが、肌で強く感じられたのは大きな収穫の1つ。監督、選手の力を上げていかないといけない。この経験を来季、ぶつけていく」
過去2年、勝負どころの大一番で負け続けた。22年ルヴァン杯決勝広島戦は、後半終了間際に連続失点して1-2で涙をのんだ。負の流れを打ち破れるかどうか。持ち前のマネジメント力、戦術、理論面で成長を遂げてきた小菊は、最後のピース“勝負強さ”を追い求めることになる。
狙っていたフェアプレー賞
Jリーグが公表した22年度の各クラブのトップチーム人件費は、神戸の約48億円が1位で、宿敵G大阪は約28億円で7位、同じ育成型クラブの広島は約23億円で10位、C大阪は約20億円で12位と続く。
約17億円の福岡は15位だが、今季のルヴァン杯で初優勝し、リーグ戦は過去最高の7位に入った。神戸は投資=結果を比例させ、福岡は抜群の費用対効果を生んだ。C大阪も中規模クラブだからといって、中位に甘んじてはいられない。
今季は胸を張れる勲章も1つ、手に入れた。12月4日、Jリーグが定める今季のフェアプレー賞高円宮杯に、C大阪の5年ぶり2度目の受賞が決まった。
フェアプレー賞はC大阪、新潟、横浜の3クラブが受賞し、その中で反則ポイントが最も少ないC大阪に高円宮杯が贈られた。これは小菊が、タイトル以外で真剣に狙っていた。10月にはこう話していた。
「プレーには日常、やってきたことが出る。乱暴なプレーはしない、よけいなファウルはしない。僕は最後まで、クリーンに闘うチームにこだわって、そういうチームでいたい」
ヤンマーディーゼルサッカー部を母体にした現在のC大阪が発足したのは、93年12月9日。小菊がまだ、滝川二に在籍した高校3年生だった時代だ。
その滝川二時代の1つ後輩、吉田孝行が指揮する神戸が今季、リーグ初優勝を達成した。神戸より2年先にJリーグに参入したC大阪、吉田の先輩になる小菊は先を越された形だが、後ろ向きな言葉はない。
「苦労した後輩が、同じ監督としてタイトルを取れたのはうれしい。逆にパワーをもらえる。こういう世界だから、そういう時が来るか分からない。でも、いろんなものを乗り越え、経験して、名監督とか、タイトルを取れる人間になっていくんやろなと思う」
クラブの選手やスタッフを最も大切に思い、ライバルの成功をも心から喜べる小菊の器量の大きさは、誰もが認める。そういう人間だから、組織は強固に完成されつつある。メモリアルイヤーの来季、クラブ一筋入団27年目となる小菊は、不退転の決意で臨む。(つづく)
大阪府池田市生まれ。1991年入社。
93年Jリーグ発足時からサッカー担当で、当時担当していた出世頭は日本代表監督になった広島MF森保一。アジアの大砲こと広島FW高木琢也の当時生まれた長男(利弥)を記者は抱っこしたが、その赤ちゃんがJ3愛媛のDFで今秋30歳に。
96年アトランタ五輪、98年W杯フランス大会などの取材を経て約13年のデスクワークに。19年から再びサッカーの現場へ。