【碧山の引退会見全文】「相談する方々がいっぱいいたので。私は幸せでした」

大相撲の元関脇で東十両13枚目の碧山(38=春日野)が26日、東京・両国国技館で引退会見を行いました。

ブルガリアから来日し、田子ノ浦部屋に入門してから、春日野部屋への移籍、5勝10敗に終わった秋場所まで…約15年の現役生活を、同席した師匠の春日野親方(元関脇栃乃和歌)とともに振り返りました。

今後は年寄「岩友」を襲名し、後進の育成にあたります。

大相撲

引退会見に臨む碧山。右は師匠の春日野親方(撮影・小沢裕)

引退会見に臨む碧山。右は師匠の春日野親方(撮影・小沢裕)

「力を出し切りました」

春日野親方 本日はどうもお集まりいただきまして、ありがとうございます。長年にわたり碧山がお世話になり、今回「岩友」襲名、碧山引退ということになりました。今後も協会に残って頑張っていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。本日はどうもありがとうございます。

碧山 私碧山、現役を引退し、年寄「岩友」襲名することになりました。現役中は応援していただいた方々ありがとうございました。今後は春日野部屋で後進の指導を頑張っていきますので、これからもよろしくお願いします。

引退会見に臨む碧山。2歳になる娘の話に笑顔を浮かべる場面も見られた(撮影・小沢裕)

引退会見に臨む碧山。2歳になる娘の話に笑顔を浮かべる場面も見られた(撮影・小沢裕)

―お疲れさまでした。今の率直な気持ちは

碧山 もう土俵に上がることがないので、ちょっと気持ちが、寂しい気持ちがいっぱいなんで。娘(2歳の長女モニカちゃん)にもうちょっと元気な姿見せたかったんですけど、今場所負け越してしまったので、引退にすることに親方と相談してなりました。そしてブルガリアから来て、ブルガリアから日本に来て15年、元久島海の田子ノ浦親方やおかみさん、そして田子ノ浦親方が亡くなり、その後ずっと今までお世話になりました春日野親方、おかみさん、後援会の皆さん、応援してくれていただいた皆さん、感謝の気持ちでいっぱいです。

―引退はどの段階で決断したか

碧山 そうですね。場所を終わって親方と話して「まだ続けるのか」っていう。親方から一言聞かれて、私も「力を出し切りました」と、親方にお伝えしました。

―親方からはどういう言葉が

碧山 「分かりました」って言われました。うん、「よく頑張ってくれた」って言われました。

―家族とはどういうやりとりが

碧山 そうですね…(言葉を詰まらせ涙を流しながら)。「よくやった」って言われました。はい。「これからも頑張ってください」って言われました。

引退会見で感極まる碧山(撮影・小沢裕)

引退会見で感極まる碧山(撮影・小沢裕)

―ブルガリアの家族にも報告はしたか

碧山 みんな同じこと言われました。はい。「よく頑張ってくれてありがとう」と言われました。

―15年の力士人生を振り返って

碧山 そうですね、生きてきた38年の中の一番楽しい人生でした。力士になれて本当に良かったです。

新弟子検査を受検した時の碧山(2009年5月1日撮影)

新弟子検査を受検した時の碧山(2009年5月1日撮影)

―楽しいと思えた部分は

碧山 そうですね、最初日本に来てから何も分からずに、少しずつ日本語も覚えて、相撲のこともいろいろ指導していただいて、ここまで来ることができて、本当に感謝しかないです。はい。

日馬富士を破り金星を挙げた碧山は、涙を拭う(2013年9月18日撮影)

日馬富士を破り金星を挙げた碧山は、涙を拭う(2013年9月18日撮影)

―2人の師匠がいた。まずは田子ノ浦親方(元幕内久島海)に対する思いは

碧山 そうですね、私が入門する時に田子ノ浦部屋に入門して、関取に上がって少しの時間で親方が急に亡くなってしまったので、そこから春日野親方が、私のことを部屋に預けていただいて、ずっと今までお世話になりました。本当に感謝しかないです。ありがとうございました。本当に。

新小結に昇進した碧山は、急逝した前師匠の田子ノ浦親方の遺影を胸に会見した。左は春日野親方(2012年8月27日撮影)

新小結に昇進した碧山は、急逝した前師匠の田子ノ浦親方の遺影を胸に会見した。左は春日野親方(2012年8月27日撮影)

気合を入れて並ぶ新十両7人。左から碧山、隆の山、荒鷲、華王錦、天鎧鵬、千代の国、飛天龍(2011年5月25日撮影)

気合を入れて並ぶ新十両7人。左から碧山、隆の山、荒鷲、華王錦、天鎧鵬、千代の国、飛天龍(2011年5月25日撮影)

―春日野親方への思いは

碧山 ここまで来られたのは本当に親方のおかげと思ってます。はい。あと、部屋付きの親方、元栃煌山の清見潟親方のおかげだと思ってます。はい。今まで相撲取ることができました。

―春日野部屋では厳しい稽古だったと思うが、印象に残っていることは

碧山 厳しい稽古は当たり前のことなんですけど、普段は優しく、困ったことはもう、相談する方々がいっぱいいたので。私は幸せでした。

引退会見に臨む碧山。右は師匠の春日野親方(撮影・小沢裕)

引退会見に臨む碧山。右は師匠の春日野親方(撮影・小沢裕)

―春日野部屋は昭和10年からずっと関取がいる。どういう思いで土俵に立っていた

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