アルゼンチンの首都ブエノスアイレスがメッシらの凱旋(がいせん)帰国に沸いている。パレードを伝える映像は衝撃的。400万人以上が祝福したという。ブエノスアイレスの人口は300万人だから、どれほど「大事件」だったかがよく分かる。

無理もない。36年ぶりなのだ。82年スペイン大会で44年ぶりに優勝したイタリアに次いで長い間隔。86年大会優勝時に国民的英雄になったマラドーナ氏が2年前に亡くなっているから、なおさら感傷的になる。

私事だが、36年前のメキシコ大会は日刊スポーツに入社して初めてのW杯だった。「ドーハの悲劇」の7年前、プロリーグなど夢にも思わない時代だ。原稿に「W杯」と書くと、デスクが「五輪に並ぶ」と加筆。「W杯なんて、日本人には分からない」と言われた。

取材も大変だった。先輩記者が日刊スポーツとしては初めて全日程をカバーするために現地に飛んだが、通信事情も悪く原稿がこないことも珍しくなかった。東京で、見てきたような原稿を書くはめになった。

もっとも、今のようにテレビ中継はない。NHKも衛星放送(BS)の本放送開始前で、決勝トーナメント以降の注目試合を地上波で流すだけ。渋谷のNHKに部屋を用意してもらい、深夜に入ってくる国際映像をドーナツ店のコーヒーをすすりながら見た。代表選手がロッカールームで渋谷の騒ぎを見ていた今大会と比べ、隔世の感がある。

もちろん、日本は大きく変わった。Jリーグ発足、W杯出場、W杯開催…。W杯は4年に1回の国民的なイベントにまでなった。さらに、ドイツとスペインにも勝った。アルゼンチン国民が優勝を待ち望んだ36年という時間の長さは、日本サッカーの進化に照らし合わせるとよく分かる。

ただ、日本サッカーの目標達成までは道半ば。日本協会は「50年大会までのW杯優勝」を掲げているし、森保監督もそこを意識しながら日本代表の指揮をとってきた。日本が「進化」したのは間違いないが、準々決勝以降の試合を見ていると、やはりレベルの差を感じる部分は少なくない。

大会後、カタール滞在中の元日本代表監督トルシエ氏にリモートでインタビューをした。日本代表の健闘をたたえながらも「20年前と比べて、それほど進化したとは思えない」「大国との差は依然として縮まっていない」と厳しかった。それでも「夢」は見たい。

アルゼンチン国民は36年間、再び優勝トロフィーを掲げる夢を見てきた。子どもは父親になり、時には孫もできる。新入社員は定年を迎えて会社を去る。長い時間でためた熱が、ブエノスアイレスで爆発した。いつか日本で優勝パレードを見るために、熱をためる時間が必要かもしれない。【荻島弘一】(ニッカンスポーツ・コム/記者コラム「OGGIの毎日がW杯」)

20日、アルゼンチン・ブエノスアイレスの凱旋(がいせん)パレードで、優勝トロフィーを掲げるメッシ選手ら(ロイター=共同)
20日、アルゼンチン・ブエノスアイレスの凱旋(がいせん)パレードで、優勝トロフィーを掲げるメッシ選手ら(ロイター=共同)
20日、アルゼンチン・ブエノスアイレスの凱旋(がいせん)パレードで、笑顔を見せるメッシ選手(奥中央)ら(ロイター=共同)
20日、アルゼンチン・ブエノスアイレスの凱旋(がいせん)パレードで、笑顔を見せるメッシ選手(奥中央)ら(ロイター=共同)