残念で、残酷な結果だった。「いつも最後はドイツが勝つ」は、幻想だったのか。どんなに劣勢でも、追い込まれても、試合が終われば勝ち。それが、ドイツの「常識」だった。この日も、悔しいけれど「後半ロスタイムで勝ち越す」と思っていた。少なくとも、韓国の先制点までは。

 間違いなく勝ちパターンだと思っていた。後半ロスタイム3分、失点がオフサイドで取り消された。ピンチになればなるほど強いのがドイツ。ゴール取り消しは、これ以上ない「ふり」に見えた。ところが、機械の目は見逃さない。VAR判定の結果はゴール。この瞬間「常識」は変わった。

 あれが審判の目なら、ゴールは認められなかったと思う。世界中が「ドイツは勝つ」と思っている。審判も同じだ。そんな先入観が判定に影響しても不思議ではない。サッカーに関わる人間に長年すり込まれてきた「最後はドイツが勝つ」の幻想。思いこみが入る余地がない機械だからこそ、何の忖度(そんたく)もなくゴールが認められた。

 みなの幻想は、58年スイス大会決勝で西ドイツが下馬評を覆して優勝したことから始まった。74年西ドイツ大会決勝のオランダ戦、82年スペイン大会準決勝のフランス戦…。逆境をはね返す「ゲルマン魂」を、世界は畏敬の念で見た。アルゼンチンやイタリアは安定感がないし、ブラジルもポカがある。しかし、ドイツは違う。「最後に勝つ」ことで幻想は増していった。

 ロスタイムの失点、機械でなければ暴けなかった。V9時代の巨人ではないけれど、強さが審判をも巻き込み、さらに強くなることはある。当時の野球界にVAR判定があれば、見逃した投球がボールになる「王ボール」や「長嶋ボール」はなかったかも。ドイツ敗退は決して偶然ではない。新時代のテクノロジーが「最後は勝つ」という過去の幻想を断ち切った。アンチにとって「敵役」は強ければ強いほどいい。ドイツのいないW杯は、確かに寂しい。それでも世界の9割(根拠はないけれど)はゴール判定の瞬間、思ったはずだ。「ざまあみろ」と。