この朝、自宅を出た袴田秀子さん(91)の背中はいつになくこわばっていた。だが、数時間後の記者会見で「(弟は)無罪という判決が神々しく聞こえ、あとは涙がとまりませんでした」と笑顔をはじけさせた。
58年前、1966年に起きた袴田事件で死刑が確定した袴田巌さん(88)の再審公判で、静岡地裁は先週、「無罪」を言い渡した。当日、私は静岡朝日テレビの4時間特番に出演。そのなかで、10年前、「このままの状態に置くことは、耐え難いほど正義に反する」として袴田さんの釈放を決めた当時の静岡地裁裁判長で、弁護士の村山浩昭さんも取材した。
この日の再審判決で国井恒志裁判長は検察側証拠の5点の衣類を捏造(ねつぞう)と断定。さらに1通の調書も「非人道的調べによる」として証拠から排除するなど、証拠のすべてを「違法」として完膚なきまでにたたきつぶした。
それにしても警察、検察が証拠をでっち上げ、裁判所もそれを見抜けないまま、これまでどれほどの無辜(むこ)の人々が死刑になったのかと思うと背筋が凍りつく。
過去に例のない死刑囚の釈放を決めた村山さんは当時を振り返って、当然のことながら死刑囚を釈放するに当たっての法的根拠などあるはずがない。
「悩みに悩んだ」末に、これは法律の問題ではない。人権上、人道上のことだと思うに至った。それが「(袴田さんを)このままの状態に置くことは耐え難いほど正義に反する」という決定文につながったという。
そこまで言って村山さんはしばらく沈黙。いまは拘禁症状のため別の世界をさまよう袴田さんに、「無罪判決をきっかけに、どうか現実の世界に戻ってほしい。いまはただただ、それを願っています」。そう言った村山さんの目に、うっすらと涙が浮かんでいた。
言うまでもないが、人権とは人の権利。そして人道は人の道。だが、これ以上裁判を長引かせない検察の「控訴断念」の決断は、いまもなされていない。
◆大谷昭宏(おおたに・あきひろ) ジャーナリスト。TBS系「ひるおび」東海テレビ「ニュース ONE」などに出演中。