山から人里に下りてきたクマは習性が変わる


環境省が発表しているクマ類の出没対応マニュアルの表紙
環境省が発表しているクマ類の出没対応マニュアルの表紙

今年はクマによる人身被害が過去最悪となっている。環境省によると10月末時点で164件、被害者は180人で、5人が命を落としている。人里近くに暮らすアーバンベアの存在、市街地での襲撃などこれまでにない現象が相次いでいる。そんな異変を現役のマタギはどう見ているのか。秋田県の阿仁マタギ第15世・松橋利彦氏(60)に話を聞いた。

今年は人里に下りてくるクマが多い

松橋氏は秋田県能代市の出身。「伝説のマタギ」といわれる第14世・松橋時幸氏(故人)の娘婿となり、2008年にマタギの世界に入った。マタギの本場、北秋田市阿仁比立内で松橋旅館を営む一方、現役マタギとして猟期(11月1日から2月15日)には、仲間と山に入りツキノワグマを追う。

―11月1日に秋田県で狩猟が解禁になりました。これまでに何回猟に行かれましたか。

松橋 3回かな。最近はマタギも高齢化と後継者不足で数が減り、なかなか人数がそろいません。昔は統領(シカリ)からクマを追い出す役割の勢子(セコ)、クマを包囲して鉄砲を撃つ撃ち手(ブッパ)まで10人ほどのマタギ衆で猟を行うのが通例でしたが、最近は10人集まるのは年に数回がやっと。猟の回数も減りましたね。

―今シーズンの山の状況はどうですか。クマはいますか。

松橋 今年は山にドングリなどの餌がなくて人里に下りてくるクマが多い。過去に例がないほど多いんじゃないかな。里のクリや、これまではあまり食べなかった渋柿まで食べていますよ。山はねえ、まだ雪がほとんど降っていないから足跡が付かないので、奥まで行っても見かけなかったなあ。きのう、きょうで少し雪が降り始めてきたから、本番はこれからだね。

―人里に下りてくるクマが多くて被害が続出したため、県は狩猟による捕獲の枠を制限しないことを検討する、と狩猟解禁直後に報じられていました。

松橋 それがね、きょう(11月14日)、県の保護課からハガキが来ましてね、「令和5年度猟期におけるクマの狩猟は自粛くださるようお願いします」と書いてあったんです。今年はわなによる捕獲が増えたんですよ。捕獲しすぎるわけにもいかないから、こういうことになったのでしょう。だから、今年はクマ猟には行けない。代わりにシカやイノシシ、山鳥を獲りに行きますよ。


※当初は捕獲上限を過去最多の96頭から引き上げて100頭まで認めることを決めた。その後、想定以上に狩猟が進み、早々に100頭に達することが確実視される見通しとなったため、自粛を求めたという。しかし、11月21日に、クマの狩猟について秋田県は、近く再開させる考えを示した。24日に開かれる専門家による検討会の意見を踏まえたうえで正式に決まる見込みだ。一方、有害鳥獣捕獲の制限はない。有害駆除数は11月6日時点で1400頭を超えている。


―人里に下りてきているクマ増加の原因をどうお考えですか。

松橋 さっきも言ったように山の餌が足りないことが大きな要因でしょうが、マタギも含めてハンターが高齢化して数が減ったことで、クマの生息数が増え、餌を得られなくなったクマが下りてきているのでしょう。

それと地域の人口が減って、昔のように里山を管理する人が少なくなってしまった。昔は藪を刈り払って見通しを良くしていたものですが、放置されたままになっている。それで山と人里の境目がわからなくなってしまったんです。

―人里近くで暮らしているアーバンベアは、世代的にはどうでしょうか。

松橋 人里で見かけるのは、体が小さなクマが多いから3歳ぐらいの若いクマでしょう。山では2歳で親から離れて単体で暮らし始めますが、他のクマとの餌の奪い合いに負けて人里に下りてきているのでしょう。

親子グマもいます。子どもが山で十分に餌を食べられないため、一緒に下りてきている。気を付けなければいけないのは、人里に下りてきた若いクマは、人を怖れないことです。山の中でマタギやハンターに鉄砲で撃たれたことがない。

そもそも人との遭遇経験がないクマが多い。だから、平然と人里近くに暮らし、餌を求めて人里に下りてきて、いざ人に遭遇するとパニックになって立ち向かってくるんだと思いますよ。


最初から人を怖れていない

―山のクマとは習性、性格が違いますか。

松橋 パニックにはなりますが、最初から人を怖れていない点がいちばん違いますね。山のクマは音がすれば逃げるのですが、人里のクマは逃げなかったですからね。人にも音にも慣れてしまっている。だから人里にいるクマは私らでも怖いですね。

―自然現象に加え、地域の人口減少、狩猟者の減少などが複合的に絡み合った結果ですね。マタギの世界のことを伺います。猟の方法は先代のころと比べ大きく変わってきていますか。

松橋 さっきも言いましたが、マタギも高齢化し、後継者を見つけるのが困難になってきています。マタギはみんな兼業です。そのためマタギ衆が集まって“巻き狩り”に出かける機会が減りました。昨年は10人ぐらい集まって出かけたのは3回ほどです。あとは私が1人で10回ほど猟に出ました。巻き狩りで仕留めたクマは2頭だけです。


今も残っている猟の儀式

―マタギの猟では昔からいろんな儀式がありますが、現在でも残っているものはありますか。

松橋 クマは山神様からの授かり物なので、仕留めたクマの霊を山神様の元に送り出す「ケボカイ」は今でも必ず行っています。

―先代・松橋時幸さんの一代記である『第十四世マタギ』(甲斐崎圭 著)には、ケボカイと解体は里の集会所で行われていました。今はどうですか。

松橋:人里まで下ろすことはなくなり、今は山でケボカイを行い、その場で解体しています。解体後はマタギ勘定で巻き狩りの参加者に平等に分配します。(解体後の肉などは)各自がリュックに詰めて持ち帰ります。

―先代の時代は、夜明け前に里から歩いて猟場に向かい、数時間かけて持ち場につくといった描写がありましたが、最近はどう変わりましたか。

松橋 今は林道がかなり先まで延びていますので、集合場所のキャンプ場近くまで車で行き、そこから猟場までは歩いて1時間ほどですかね。ずいぶんと楽になりました。

―マタギの世代交代というか、若い人は入ってきていますか。

松橋 後継者難は続いていますが、最近になってマタギに憧れたといって、こちらに移住してくれた若者が何人かいます。こちらに来て狩猟免許を取りましてね。マタギの大半は40代、50代以降ですが、一番下は29歳の若者がいます。あとは30代も。うれしいですね。マタギ文化を後世に継承していってほしいものです。

―山の話に戻ります。北海道のヒグマの中には、エゾシカの子や、弱ったシカなどを狙って食べる肉食の個体の存在が論文などで明らかになっています。阿仁周辺の山のツキノワグマの中にも他の動物を餌としているようなクマはいるのでしょうか。

松橋 多分、数は少ないけどいると思いますね。マタギ衆で巻き狩りをやっていると、カモシカが急に飛び出してくることがあります。クマに追われて逃げてきたんですよ。そういう場面を何度も見ているから、カモシカを狙っているクマがいるのは間違いないと思います。そういう個体の子どもが、それを学習して引き継いでいく可能性もあります。ただ、大半のクマは草食ですよ。

―『第十四世マタギ』には、勢子を務めていた若い頃の時幸さんが、手負いのクマに襲われ、山刀(ナガサ)1本で対峙する場面があります。松橋さんご自身はそういう体験はありますか。

松橋 そこまで緊迫した場面はありませんでした。大きなケガをしたこともない。ただ、1人で山に入っているときに、クマに出くわすことは何度もありましたね。たいていは向こうがこちらの存在に気づいていません。本来はおとなしい動物ですから、そういう時はそっと声をかけてやるんです。「おい」とか「こら」とかね。そうするとこちらに気が付いて、おとなしく去っていきますよ。


避けるべき危険な局面

―とはいえ、中には凶暴な個体もいるのでは?

松橋 昔からそうですが、人に撃たれて傷を負った手負いグマと子持ちグマは危ない。子グマを見かけたときは、絶対に近寄らず、静かに引き返すことにしています。子どもを守ろうと母グマが猛然と襲い掛かってきますからね。

あと、危ないという意味では、仕留めたと思ったクマに近づくときですね。倒れているクマの近くまで確認に行ったときに、突然、そのクマが起き上がって飛び掛かってくることがあるからです。だから、確認の瞬間がもっとも緊張しますね。

―最後に、気象変動なども含めた最近の生態系の異変について、どうお考えですか。

松橋 温暖化や異常気象で山の生態にも大きな変化が出てきています。そこに人口減少、高齢化といった社会的な現象が加わり、山や森がきちんと維持されなくなってきていて、その結果として生態系の異変につながっているように思います。

岩手に親戚がいるんですが、あちらではシカが増えすぎて被害が拡大して困っているといいます。ここらの山もどうなるか。このまま手入れが行き届かない状況を放置していったらどうなってしまうのか。マタギ文化を継承しながら、山の生態系にも注意を向けていきたいと思います。

【山田 稔 : ジャーナリスト】