【鎌田英嗣〈上〉】1歳年下の宇野昌磨から学んだ姿勢「逃げないようになった」/社会人の今

7月からフィギュアスケートの2024―25年シーズンが幕を開けました。

2026年ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪(オリンピック)を見据えて、多くの有力選手が大事な1年を過ごす一方、フィギュア界から羽ばたき、別の場所で人生を送っている元選手たちがいます。

日刊スポーツで2021年冬に掲載したシリーズ「銀盤に別れを告げた選手たちの今」の第2弾。

シリーズの第2回に登場するのは、2014、15年にジュニアグランプリシリーズ(GP)に出場するなど2020年に現役引退するまで最前線で活躍した鎌田英嗣さん(27)。競技人生から「今」を探ります。前後編の2回でお届けします。

フィギュア

宇野昌磨さんから受けた衝撃 井の中のかわず大海へ

四谷三丁目駅から徒歩5分。四谷4丁目交差点の一角の「44ファンタジービル」。

その4階に店を構えるフィギュアスケートバー「おむすびアクセル」に足を踏み入れると、若いマスターが爽やかな笑顔で出迎えてくれた。

鎌田英嗣さん、27歳。

笑顔でポーズを取る鎌田英嗣さん(撮影・勝部晃多)

笑顔でポーズを取る鎌田英嗣さん(撮影・勝部晃多)

身にまとうのは、現役時代ともに氷上を駆け抜けたきらびやかなフィギュアスケートの衣装だ。

競技者としてリンクを去ってから4年。第2の人生を歩む男が、力強い言葉を紡いでいった。

―あらためてスケート人生を振り返っていただければと思います。競技を始めたきっかけを教えてください

鎌田 父親です。父がフィギュアスケートが大好きで、趣味として競技をやっていたので、僕も父親に連れて行ってもらうようになりました。台東区の上野で育ったのですが、高田馬場スケートリンクが拠点でした。5歳の時に出合って、小学3年生ぐらいから選手として本気で始めたという感じです。

全日本ジュニア選手権で男子フリーの演技をする鎌田英嗣(2015年11月23日撮影)

全日本ジュニア選手権で男子フリーの演技をする鎌田英嗣(2015年11月23日撮影)

―家族が同じ競技をしていることがプレッシャーになることはなかったのですか

鎌田 父の求めるハードルはそんなに高くなかったですね。むしろ試合までにどう頑張るかとか、そういったプロセスの方において厳しかったです。結局は自分がやりたいからやっていましたから。水泳や野球もかじりましたけど、小3でフィギュアスケート一本に絞りました。たくさんの方に注目してもらえるとか、認めてもらえるとか、そういったところが一番楽しかったし、続けてこられた理由なのかなと思います。

全日本選手権男子SPで演技する鎌田英嗣(2016年12月23日撮影)

全日本選手権男子SPで演技する鎌田英嗣(2016年12月23日撮影)

―「楽しさ」が原動力になっていったのですね。その上で、上を目指そうと思ったきっかけはありますか

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スポーツ

勝部晃多Kota Katsube

Shimane

島根県松江市出身。小学生時代はレスリングで県大会連覇、ミニバスで全国大会出場も、中学以降は文化系のバンドマンに。
2021年入社。スポーツ部バトル担当で、新日本プロレスやRIZINなどを取材。
ツイッターは@kotakatsube。大好きな動物や温泉についても発信中。