◆評論家
為末大学
日刊スポーツ紙面の人気コラム「爲末大学」が登場します。陸上の元五輪選手でマルチな才能を発揮する為末大氏(36)が、大会を社会学的な見地か ら考察。W杯終了まで、日刊スポーツ紙面で毎週水曜日の連載です。
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自分らしさを知るために…
「自分たちのサッカーをする」。今回のW杯で、選手たちがことあるごとに口にしていた言葉だ。自分たちらしさ、それは一体何なのだろうか。
例えば無人島で生まれて育ち、誰とも会わなければ、自分の背が高いのか低いのかは分からない。強気なのか慎重なのか、そういった特徴もすべては誰かと比べることで初めて分かる。つまり自分らしさが分かるには、自分以外との比較が必要になる。
私が初めて1人で海外に行ったのは、22歳の時だった。まったく英語もしゃべれない中で、何とか試合に出るという生活をしていて1つ気付いたことがある。日本では相当に無鉄砲で考えるより行動派だといわれていたけれど、海外に出るともっととんでもない選手がたくさんいた。後先考えずにぶっ飛ばす選手や、1人でヨーロッパに来て大会運営者に出場させろと迫っている10代の若者。私は日本では行動派でも、世界で比べるとむしろ考えて動く慎重派だと気付き、それから僕は自分のことを行動派だとは言わなくなった。
自分らしさを知ることは相当に難しい。何しろ自分とは違う存在と大量に触れ合って初めて自分らしさが何なのか分かる。その幅が広い方が自分らしさはより分かる。性別、国籍、職業、年齢。もっと言えば人間という枠も超えて、生物らしさは何か、人間らしさは何かという問いにまで広げることもできる。
昔は外国人というくくりで考えていたけれど、実際に会ってみるとアメリカ人もイギリス人も結構違う。その中でも短距離系と長距離系もまったく性格が違うし、個々人でも随分違う。
サッカーだけではなく、ビジネスや他のスポーツにおいても、私たちはよく日本人らしさという言葉や、自分たちらしさという言葉を使う。けれども本当の意味で自分らしさを知るためには、どんどんと自分とは違うものと出会っていかなければ分かっていかない。同じ村に居続けている間は、似た人との比較しかなく、自分らしさなんて分からない。その自分らしさは村の中での特徴でしかない。
見方を変えるとサッカーは自分たちらしさという言葉が使えるぐらい、海外と向き合っている選手が増えてきた表れでもあるように思う。おそらくこれから、本当の意味での日本人らしい戦いを作り上げていくのだろう。
自分たちはいったい何者なのか。日本とはいったい何なのか。グローバル化の中で「自分たちらしい」戦い方をしていくためにも、私たちはこれからどんどんと違う世界に飛び込んでいく必要があるように思う。(為末大 @daijapan)