仰木彬さん死去から20年 投手スタッフへの厳しさ有名も…コーチへの気遣い伝わってくる話あった
今月15日は仰木彬さんの命日です。若い方は知らないかもしれませんが、近鉄、オリックスを優勝に導いた名監督。イチロー氏がバリバリだった90年代半ばの黄金時代にオリックス担当として、連日、取材させてもらいました。70歳で亡くなったのは05年。来年には20年かと思えば早いな、と感じます。
用兵、采配など多様な手法を取ることで知られた仰木さんですが、同時に投手スタッフに厳しいことでも有名でした。ときに過酷な起用を続けることで投手コーチと衝突した話もあります。そんな中、最近、こんな話を教えてくれる方がいました。
山口高志さん。こちらも一定の年齢の方なら知らぬ人のいない球界のレジェンド。阪急のリリーバーとして75年からの3年連続日本一に貢献しました。さらに投手コーチとして、オリックス、阪神で活動。阪神・藤川球児新監督の投球フォームにヒントを与えた存在としても知られます。
先日、山口さんを囲む会が大阪市内で行われました。別名「関大会」です。現在も母校・関大で指導を続ける山口さんを中心に同校OBの野球関係者が集う忘年会ですが、こちらも同校卒業生として末席をけがさせてもらいました。そこで山口さんから聞いたのはこんな話です。
97年のシーズン中のこと。当時、東京ドームが本拠地だった日本ハム戦での東京遠征時だったと言います。当時、山口さんはメインの投手コーチ。投手陣がうまく機能せず、悩んでいました。眠れず、宿舎ホテル近くの隅田川沿いを散歩していたときのこと。
前から歩いてきたのが当時の監督、仰木さんでした。あいさつするとすれ違いざま、右手を出して、突然、こう言ってきたといいます。「タカシ、眠れんやろ。これ、効くぞ」。そこには睡眠導入剤の小さな錠剤が3粒ほどあったそう。
厳密に言えば、自分の飲んでいる薬を人にあげるのよくないことですが、仰木さんなりの投手コーチに対する気遣いが伝わってくる話です。「びっくりしたよな」。山口さんは懐かしそうに話しました。
野茂英雄さん、イチローさん、そして前阪神監督・岡田彰布氏が指導者となるキッカケをつくり、合併球団オリックス・バファローズ元年の05年に監督を務め、その冬に逝った仰木さん。あらためて奥深い人だったと思うのです。【編集委員・高原寿夫】
(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「高原のねごと」)
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取材生活30年を超える古だぬき記者。吉本興業から宝塚歌劇団、あるいはヤバい人たちの取材から始まり、プロ野球ではイチロー日本一(96年)星野阪神V(03年)緒方広島連覇(17年)などの瞬間に立ち会った。日刊スポーツ大阪本社編集委員。