田村藤夫のファームリポート

【田村藤夫】現役引退を決めた元日本ハム投手柿木蓮さん(24=大阪桐蔭)が話してくれたこと

現役引退を決めた柿木さんは、田村さんとのツーショットを自撮りしてくれた(提供・田村藤夫)
現役引退を決めた柿木さんは、田村さんとのツーショットを自撮りしてくれた(提供・田村藤夫)

【200】<柿木蓮インタビュー>◇12日◇千葉・松戸市内

今回はプレーを解説・評論するコンテンツではなく、現役生活に別れを告げた元NPB投手にインタビューし、その胸の内を聞いた。

柿木蓮投手(24=大阪桐蔭)は、2018年ドラフト5位で日本ハムに入団。昨年オフに戦力外通告を受けていた。去就を考え抜いた柿木さんは12月28日、ついに家族に現役引退を伝えた。

私はコーチという職業から離れて以来、ファームリポートを主なフィールドとして評論活動をしてきた。プレーを見て、課題や改善点を解説してきたのだが、今回、柿木さんの話を聞いて、ファームリポートのもうひとつの本質というものに直面した思いがした。

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1月12日、松戸市内のコーヒーショップで待ち合わせをした。大きなカップでおいしいコーヒーを出してくれる店で、11月のトライアウト以来、久しぶりに柿木さんに会った。だいぶ顔がふっくらして、雰囲気もどことなくさらに穏やかになった気がした。

「野球をやめる決断までには、何があった?」。そう切り出すと、柿木さんは静かな口調だったが、一気に話し出した。

23年春のキャンプではじめて顔を合わせてから、何度も取材を重ねてきた。柿木さんはどちらかと言えば人見知り。かくいう私も人見知り。最初はなかなか会話が滑らかに続かなかったのだが、少しは慣れもあったと思う。

そして、野球をやめる背景を、柿木さんは何度も何度も頭の中で反すうしてきたのだろう。それを一気に吐き出すような、そんな迫力と、情熱を、言葉を続ける柿木さんの雰囲気に感じた。

11月にトライアウトに臨み、そこから社会人野球、独立リーグ、台湾プロ野球など、いくつかの話はあった。だが、柿木さんの中には揺るぎない思いが常にあったという。


柿木さん 育成契約になり、支配下を目指したこの2年、懸命にやってきました。投手にスピードを求める球団の方針の中、僕がそこに応えられなかったのは悔しいですが、プロである以上、球団が求める投手像に近づこうと、やってきました。オフに戦力外通告を受け、トライアウトを受けようと決め、ひとつの節目として練習を続けました。トライアウト後は、目指したNPBからの連絡はありませんでした。ありがたいことに社会人チーム、独立リーグ、そして台湾プロ野球など、いくつかお話をいただき、その中には指導者との兼務で現役を続けてはどうか? というお話もあり、気持ちがぐらりと揺れたこともありました。でも、自分の中では野球を続けるならばNPBで、という思いはずっとありました。社会人野球、独立リーグ、台湾プロ野球、どこで選手を続けても、そこからNPBに戻ることがどれだけ大変なことなのかは、自分としては骨身に染みて分かっています。少なくとも、育成から支配下を目指した2年で、その難しさはよく理解しています。


11月下旬から、しばらくの間、現役を続けるか、区切りをつけるか、考える日々が続いた。その中で、知人が漏らした言葉が、偶然にも正反対だったことが、柿木さんの心に大きく響いた。


柿木さん 人にそういう事を相談するタイプではないんですね。強いて言えば親ですかね。ですから、連絡をくださった高校の先輩の方や、日本ハムの先輩の方の言葉は胸に残っています。大阪桐蔭の先輩の方は、「悩んでいるのなら、続けろよ」と言ってくださいました。そして、田中瑛斗さん、福田俊さんは、「悩んでいるのなら、やらない方がいい」と声をかけてくれました。トライアウトを受けた選手の中には、「どこでもいいから野球を続けたい」と言う人もいました。みんなそれぞれの考えを持ちながら自分の将来を決めているんだなと、感じました。


甲子園優勝投手の実力を認められてプロ入りし、そこからなかなか評価が上がらないもどかしさの中で、ここ数年は本当に苦しかったと思う。柿木さんのコメントの中に、「悩んでいるのなら…」という言葉をかけられ、引退を決断するためのきっかけになったとあった。

「悩んでいるのなら続けろよ」には、野球を仕事として続けるチャンスがある限り、そこに挑戦し続けてはどうかという野球人としてのあこがれ、理想を感じ取ることができる。

そして、対極のコメントとして「悩んでいるのならやらない方がいい」という言葉には、支配下から育成契約に立場が変わり、その中でも懸命に取り組んだ柿木さんの姿を知るからこその意味合いが色濃くにじむ。

野球を続けるという決意と、続けるか悩むという状況には、決定的な違いもあると、私は感じる。そこに一抹の不安や、自分自身に対する確信が持てない以上、プロの世界では厳しいのではないか、という先輩たちの、これもひとつの優しさだったのではと、私は聞いていて感じ入った。


最後は柿木さんが自分で悩み、自分で決断した、現役引退という結論を私は立派な最後だと思った。

そして、そこに至るまで、柿木さんが思い巡らした背景や、たどった思考の変遷を考えた時、こうして戦力外は球団によってもたらされるのだが、最後の最後は、大好きな白球を、自分の意思で置くことを選んだ柿木さんの野球人生活を、本当に心の底からねぎらいたい思いに駆られた。

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今回、このコーナーは200回目の区切りを迎えた。私としてはひとつの節目に、インパクトのあるテーマを探してきた。誰が期待しているわけでもないだろうが、継続してきた私としては、こだわりとして、何かこれまでにない切り口、視点を探してきたように思う。

そして、思いがけずもプレーとはまったく関係のない、あるプロ野球選手の大きな決断のプロセスと向き合うことになった。

これも、ファームで生きる選手にとり、決してひとごとではない現実だ。そして、誰もがやがて、柿木さんと同じように、大好きな野球の魅力に引きずられながら、別れを告げる時が来る。

アマチュア野球、プロ野球にかかわらず、そして野球に興味の無い方にも、ぜひとも柿木さんがもがいた日々に思いをはせていただきたい。(日刊スポーツ評論家)

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