- 「バビロニア」と呼ばれるファベーラで住民と笑顔を見せる山本祐揮さん
<三須記者がリオで見る:カーニバルの光と影>
【リオデジャネイロ14日(日本時間15日)=三須一紀】リオで頑張る日本人、山本祐揮さん(28)はブラジルで生活しながらビーチサッカーの日本代表を目指している。小学校教諭を辞めて13年、単身ブラジルへ渡った。30円の昼食で1日の腹を満たすという切り詰めた生活を経験し、今ではファベーラ(貧民街)と市街地を行き来する中で故郷に錦を飾るのを夢見て奮闘している。
2年で小学校教諭を辞めた。安定した職を捨てて、日本から最も遠い国へ行くと決めた。母は泣いた。
高校サッカーでは愛知県ベスト8止まり。推薦もなく、受験で大学に入った。神奈川県平塚市で晴れて教員に合格。安定を手に入れた一方で、山本さんはサッカーが忘れられなかった。
13年4月からサンパウロのサッカーチームに、14年2月からリオ州リーグ3部「メスキータ」に入った。リオ市から車で約2時間のノヴァイグワス市に移住。貧困層のために国が運営する1レアル (約30円)の食堂で毎日、1食だけ食べた。パンや果物を余分に持ち帰り、夜や翌朝はそれでしのいだ。食堂にはホームレスやギャングがたくさんいた。
「日本に帰ろうとは思わなかった。教員を辞めて、生涯安定という道があるにもかかわらず、自分の歩きたい道を選んだので」。約束した子どもたちへの思いも吐露した。「担任を受け持った2年生と、全校生徒の前で言いました。『サッカー選手になるために先生辞めます』って。何か1つサッカーで成功しないと顔向けできない」。
しかし15年6月、チームのオーナーが代わり突然解雇された。その頃からリオ市に移り日本料理店、日本語教師、サッカー教室と仕事を掛け持ちして生計を立てた。ファベーラ「バビロニア」に住み始めたのもこの頃。元々住んでいる日本人写真家が帰国する際に、その家を守ってきた。銃撃戦にも遭遇した。
今年3月、リオのビーチサッカーチーム「アメリカ」に入団。今はコパカバーナの練習場が五輪ビーチバレーの会場となった関係で、チームは活動できていないが、ここに勝機を見いだした。「ブラジルで技を磨いて日本代表になりたい」。
ポルトガル語も上達し、「生きてるって感じがします」と笑う。担任をしていた子たちも今や小学6年生。「山本先生」は今も、児童と自分への約束を守るために、ブラジルで生き抜いている。
◆山本祐揮(やまもと・ゆうき)1988年(昭63)7月11日、名古屋市生まれ。熱田高時代、全国高校サッカー愛知県予選ベスト8。岐阜聖徳学園大を経て、小学校教諭。退職後13年4月にブラジルに渡航。