レスリングの吉田選手も、それから体操の内村選手も、今は先のことは考えられないと話をしている。試合を終えた選手としては当然の心境だと思う。ゆっくりと休んでほしい。

 一般的にアスリートはあふれんばかりのモチベーションを持った人々と思われているが、実際にはそうではない。引退して急にモチベーションをなくす人や、現役時代でも競技以外には全く頓着しない人もいる。私の実感としては、アスリートは、もちろんすさまじい気力の持ち主はいるにはいるが、ほとんどはうまく心の体力を配分している人々という印象がある。

 私の現役時代の根本となる考えは「心には体力がある」というものだった。人間の心は使えばすり減るもので、回復させながら使わないといけない体力のようなものだと考えていた。疲れ切った状態で走ってしまえばケガをする可能性が高くなるのと同じように、心が消費された状態で無理して頑張ってしまえば、ある日ぱたっと動けなくなってしまう。それこそ致命傷になるので、直前に回避するようにしていた。

 例えば、20代の後半でメダルを取った後、ハードルを封印して短距離に専念した年があった。結果は失敗に終わったが、おかげで現役時代が伸ばせたと思っている。理由の大半はスピードを高めないと世界一になれないと踏んだからではあるが、実は心の体力を気にしていたというのもある。04年が五輪、05年が世界陸上、07年が世界陸上(しかも大阪)、08年が五輪とビックイベントが続く中、05年でメダルを取った時にこのまま頑張りきると08年まで持たないと感じていた。その時、自分の疲労感をよく観察してみると、どうも体ではなく、「負けてはならない」という状態で常に緊張している心の方の問題だと感じた。だったら、勝っても負けても大してこだわりがなく、周囲も気にしない本業以外の競技をやろうと短距離を選択した。

 いくら勝負が好きでも、いくら競技を愛していても、夢中になっていても、続けば人は疲れる。長期間の深い没頭が競技力を保つためには重要だけれど、それなりに心の体力をため込まないと耐えられない。休むと一言で言うが、疲れているのは体ではないことは多々ある。心の場合に重要なのは休むこともだが、何より「距離をとること」だ。そこに身を染めている間はいくら休んでも本当の疲労は取れない。一定の距離を一定期間とって、初めて疲れていたことに気がつく。長期間疲れていると、自分が疲れていることにすらそもそも気づくことができない。

 心には体力があり、年齢とともに少なくなる心の体力を、その都度ため込む時間をとり、それをどこに集中、配分するかが重要だろうと思う。【為末大】(ニッカンスポーツ五輪コラム「為末大学」)

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