今回の五輪は、国家と選手がクローズアップされる大会になると思っている。
1つはドーピングだ。私の現役時代もドーピング検査は試合時と平常時に抜き打ち検査があり、ほぼ個人で検査から逃れることは不可能だった。組織的でないと現在では、ドーピングも行うことが難しいのではないか。
その組織はロシアのように国家単位ということもあるだろう。アマチュア競技は、多くの場合その国家により強化されている。その国からドーピングを要請されたら、果たして選手は断ることがそもそも許されているのだろうか。たまたま日本はアンチドーピングが徹底されている国だからよかったが、もしそうではない国に私が生まれていたらどうなっていたか分からない。
スポーツのプロ選手は住んでいる場所と生まれた国が違う場合が多い。得られる金額も大きいために、強化はほとんど自分で行っている。つまり国家に依存せず自分で自分のパフォーマンスを高めてきた選手だから、オリンピックに出る際に国家をほぼ意識しないで、出場するかしないかを決定することができる。今回の五輪を辞退した選手のほとんどはプロ選手だ。
そもそも人種や、国籍、性別をはっきりわけること自体が難しい時代になっている。私の友人に中南米出身でアメリカに移り住んでトレーニングをしている選手がいたが、「彼のスペイン語はたどたどしいね」と彼の母国の選手が言っていた。国籍と言語もずれ始めている。
ケニアの長距離選手でも、日本の実業団がなければ強くなれなかった選手がいる。五輪の決勝にそういう選手がいれば、私たちは自然と応援をしている。同じように幼少期からトレーニングのため違う国に移り住んだが、自国の代表として出る選手もいるだろう。そういう選手がトレーニング拠点にしている国から応援される。
これから先はもちろん国という単位も含め、「自分にどれだけ近いのか」という理由で応援する人が増えるようになるのではないか。SNSの登場もあり、人々は国を超えて似た人間を探すことに慣れつつある。今回、日本を熱狂的に応援している外国人集団を見かけることになるのかもしれない。
【為末大】(ニッカンスポーツ五輪コラム「為末大学」)