オリンピックでは信じられないような光景を時々目にする。男子400メートルで、永遠に残るのではないかと思われていたマイケル・ジョンソンの世界記録がついに破られた。南アフリカのファンニーケルクが43秒03で走ったのだ。あと少しで42秒台に入ってしまいそうな、すさまじい世界記録だ。
すごいものを見たと興奮をしながら会社に向かう途中、コンビニでスマホを見ながら彼の話題を口にしている若者たちに出くわした。「すごいな、世界記録だってよ」という若者に対し、もう1人の若者がこう言った。
「でもどうせドーピングでしょ。本当の記録かどうかわかんないよ」
今回のオリンピックではロシアがドーピング違反により、締め出しを食らっている。中には「ドーピングぐらい」という人もいたが、現場の人間からすると、よくやってくれたという意見が多いだろう。ドーピングは勝負の公平性を奪ってしまうという選手からの目線だけではなく、実は見て楽しむ観客及び大会側にも大きな弊害をもたらしている。
今の時代はリアルタイムである必要がないものは後回しにされる。昔は人気番組を見るために急いで家に帰ったものだが、録画しておけば、そんな必要もない。
ところがスポーツだけは瞬間がとても重要になる。世界記録や、素晴らしいパフォーマンスを見た瞬間に私たちはただ驚き、その選手と記録を称賛する。その瞬間を見逃すまいと、世界中が固唾(かたず)をのんで勝負を見守る。それがオリンピックの大きな価値のひとつだろう。
ドーピングは、その瞬間の興奮に疑問を抱かせてしまう。目の前で優勝している選手が、本当のチャンピオンなのか、目の前で出た世界記録が本当の記録なのかを分からなくしてしまうのだ。
小学生の時、ソウル五輪でベン・ジョンソンがカール・ルイスに勝った。次の日に興奮して学校でベン・ジョンソンがどれだけすごいのかを力説していた私は、その数週間後にみんなにばかにされた。あの時に言われた「どうせ陸上選手なんて、みんなドーピングやっているんでしょ」という言葉は今も忘れることができない。
オリンピックというビッグビジネスは、この瞬間の興奮という価値に支えられている。その価値を揺るがすのがドーピングなのだ。
【為末大】(ニッカンスポーツ五輪コラム「為末大学」)