【三原舞依の言葉】なくなった恐怖心、ピアノの音だけのSP「五輪に出られるように」

日本スケート連盟(JSF)による強化合宿が、イタリア北部のバレーゼで開催されました。26年ミラノ・コルティナダンベッツォオリンピック(五輪)で日本代表が練習拠点とする地に、昨季の世界選手権代表を中心とした12人が集結。8月14日から3日間の日程で練習に励み、当地の15日夜にはエキシビションが行われました。

夏季五輪が終わり、日刊スポーツ「Figure365」取材班はパリからミラノへ直行。どこよりも早く、の思いで1年半後の冬季五輪へスタートを切りました。

昨季の4大陸選手権7位の三原舞依(24=シスメックス)も合宿に参加。昨季は右足首の負傷に苦しみましたが、現在は連続3回転ジャンプを跳べるまでに回復しました。見据えるのは初の五輪出場。「三原舞依の言葉」としてお届けします。

フィギュア

イタリア・バレーゼでのエキシビションで演技を披露し、笑顔で観客にあいさつをする三原舞依(以下、撮影はすべて藤塚大輔)

イタリア・バレーゼでのエキシビションで演技を披露し、笑顔で観客にあいさつをする三原舞依(以下、撮影はすべて藤塚大輔)

何気ない言葉を交わす喜び

―ミラノ五輪で拠点となる場所で滑った感触はいかがですか

三原 ミラノに来るのは初めてですが、すごく綺麗な街でとても素敵なところで、こうして練習をさせていただくことができて、すごく貴重な経験でした。ほんとに幸せだなと思いながら日々過ごしています。

―ミラノ五輪への思いも一段と高まりましたか

三原 ずっと目指してきたオリンピックの舞台で、もう1度オリンピックシーズンを迎えるにあたって、やっぱり過去2回の思いもありつつ、過去2回で足りなかったものをこれから集めていって、その時に感じたところからまた再出発していきたいです。オリンピックへの思いという意味では、パリ五輪を見たり、北京五輪のメダル授与式の姿を見たりして、すごく感動して勇気をいただきました。私もその舞台に立てるようにと思いながらやっていきたいです。

―今季はどのようなところにフォーカスして、どのような成果を手に入れたいですか

三原 過去のオリンピックシーズンの時とは、コンディションや体の状態とは全然違うと思っていて。スケートを長く滑ってきて、今年で25歳になりますが、やっぱり今までの経験を重ね合わせて、悔いなくやり切ったと思えるような試合を1つでも多くできるようにしたいです。日々の練習が大事だと思うので、これからもっともっと練習を積んでいきたいです。

―坂本花織選手はミラノ五輪を「集大成の場」と話していました。ミラノ五輪は2人にとってどのような五輪になると思いますか

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岐阜県不破郡垂井町出身。2022年4月入社。同年夏の高校野球取材では西東京を担当。同年10月からスポーツ部(野球以外の担当)所属。
中学時代は軟式野球部で“ショート”を守ったが、高校では演劇部という異色の経歴。大学時代に結成したカーリングチームでは“セカンド”を務めるも、ドローショットに難がある。