【宇野昌磨の言葉】仲間の手に書かれた自分の名前 1人じゃない・・・受け取った銀メダル

2022年北京冬季オリンピック(五輪)でフィギュアスケート団体日本代表の宇野昌磨さん(26)が2024年9月10日、銀メダルを受け取りました。

都内で開かれた日本オリンピック委員会(JOC)の理事会前に機会が設けられ、スーツ姿の宇野さんの首に、会長代行の三屋裕子副会長からメダルがかけられました。

北京五輪の団体を巡っては、金メダルだったROC(ロシア・オリンピック委員会)のカミラ・ワリエワ(18)がドーピング違反で資格停止処分となり、日本は銀に繰り上がりました。金メダルとなった米国とともに8月7日、夏季五輪開催中のパリで授与式が開かれていました。

その授与式を欠席していた宇野さんは、大会を振り返り、仲間への感謝とともに、競技者生活を続ける後輩へエールを送りました。

「宇野昌磨の言葉」として、お届けします。

フィギュア

〈北京五輪団体の銀メダル授与〉

三屋JOC副会長(左)から北京五輪団体での銀メダルを首にかけられる宇野さん

三屋JOC副会長(左)から北京五輪団体での銀メダルを首にかけられる宇野さん

◆メダル授与式

宇野さん まずはこのような場を設けていただき、ありがとうございます。パリオリンピックという場でも、メダル授与の場を設けていただいたにもかかわらず、どうしてもスケジュールが合わないということで、欠席させていただきました。

その中でも、またこうして、この場を設けていただいたことに、うれしく思います。また、すごく月日はたってしまいましたけれども、このオリンピックという貴重な舞台での結果を、皆さんが大切にしてくださって、こういうお披露目の場を設けていただいたことに、本当にフィギュアスケーター、フィギュアスケート日本代表の一員として、すごくうれしく思います。

本当にみんなが一丸となって得た銀メダルだと思いますし、本当にメダル授与の光景も見ていたんですけれど、選手1人1人がすごく喜んでいて、僕が欠席したにもかかわらず、プラス僕の意志を継いで表舞台に立ってくださったことに、うれしく思っていました。

本当に今日は、ありがとうございました。

思いを語る宇野昌磨さん

思いを語る宇野昌磨さん

◆囲み取材(テレビ)

――あらためて2年7カ月越しにメダルをもらった実感は、いかがですか

宇野さん やはり、こういう場を設けていただいたことは、とてもうれしく思うんですけれども、やっぱり

その…なんですか、熱が冷め切る前に現地でもらえることに越したことはなかったと思います。ただ、本当にこれだけのたくさんの方に囲まれて、ああいう場を設けていただいたことに、しかも1回だけではなく、2回目。1回目は欠席せざるを得ない状況だったので、ものすごく、そこに関してうれしく思います。

――団体戦での五輪メダル獲得は個人としても初めてです。違いはありますか

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大学までラグビー部に所属。2013年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社。
プロ野球の阪神を2シーズン担当し、2015年11月から西日本の五輪競技やラグビーを担当。
2018年平昌冬季五輪(フィギュアスケートとショートトラック)、19年ラグビーW杯日本大会、21年東京五輪(マラソンなど札幌開催競技)を取材。
21年11月に東京本社へ異動し、フィギュアスケート、ラグビー、卓球、水泳などを担当。22年北京冬季五輪(フィギュアスケートやショートトラック)、23年ラグビーW杯フランス大会を取材。
身長は185センチ、体重は大学時代に届かなかった〝100キロの壁〟を突破。体形は激変したが、体脂肪率は計らないスタンス。