【岩野桃亜〈上〉】「滑走屋」がもたらしたもの 表舞台から消え、氷上に戻るまで

日刊スポーツ・プレミアムでは毎週月曜に「氷現者」と題し、フィギュアスケートに関わる人物のルーツや思いに迫っています。

シリーズ第38弾は岩野桃亜(20=倉敷FSC)が登場します。2020-21年シーズンを最後に競技から離れていましたが、今年2月のアイスショー「滑走屋」出演を機に、10月の中四国九州選手権で約3年半ぶりに競技復帰。スケート界に戻る決断を下した、2023年から復帰までの心境の変化を描きます。(敬称略)

フィギュア

◆岩野桃亜(いわの・もあ)2004年(平16)3月20日、韓国・仁川生まれ。日本人の母と韓国人の父を持つ。3歳からスケートを始め、帰国した7歳からは神戸クラブに所属。12歳から拠点を関大に移し、長光歌子に師事した。2014年全日本ノービス選手権(Bクラス)で優勝。翌2015年はAクラスで3位、2016年2位。2020年にアイスダンス転向を目指すも、パートナー探しに苦戦。2024年10月の中四国九州選手権で3年半ぶりに競技復帰した。161センチ。

「滑走屋」出演のきっかけは、インスタグラム

親指でスマートフォンの画面をなぞる。岩野はそのとき、画面の中で笑みを浮かべる友人を、ぼーっと眺めていた。親指でスワイプすると、見知った顔の何げない日常が順々に流れていく。次々に現れては消えていく写真や動画。その1つ1つをルーティンワークのように確認していると、その中の、ある1つの投稿に目がとまった。

親指の動きを止める。

「学生を中心とした、アイスショー?」 

一瞬にして引きつけられた。後に自らも出演することになる、高橋大輔プロデュースのアイスショー「滑走屋」のお知らせ。19歳の自分も、もしかしたら出られるかもしれないー。そう思うと、期待に胸が膨らんだ。

移動中、ピースサインをする岩野桃亜(本人提供)

移動中、ピースサインをする岩野桃亜(本人提供)

少し悩んだ後、岩野は「もしかして、このショーはオーディションがあったりしますか? チャンスはありますか?」と高橋宛にメッセージを送った。合わせて、そのときちょうど撮りだめていた動画も添えた。YouTubeを見て、歴代選手の振り付けをまねして滑ってみた動画。複雑なステップを収めた動画。いずれ自分が作品を作ることを夢見て、素材として携帯の中に入れていた動画を、“高橋組”の一員になりたい一心で、思いを込めて送信ボタンを押した。

「滑走屋」メンバーと写る岩野桃亜(2列目左から3人目)(本人提供)

「滑走屋」メンバーと写る岩野桃亜(2列目左から3人目)(本人提供)

しばらくして、スマートフォンが鳴る。見ると、高橋からの返信。「もう少し、時間くださいね」。丁寧な返事に、思わずほおが緩んだ。

「自分が表現できる場所がもしあるなら、オーディションとかがあるなら、自分から声をかけていこうかなと思っていた矢先にそういうお知らせがあったので、これは自分からいかないと後悔するだろうなって思って。返事がどうであれやってみようっていう気持ちで。すごく失礼なんですけど、連絡させていただきました」

長く過ごした関西を離れ、沖縄で新生活を送っていた岩野。2023年秋、勇気を出して踏み出したこの小さな一歩が、自身をフィギュアスケート界に引き戻すきっかけになる。

「滑走屋」は宝物の経験

メッセージを送ってから1~2カ月後のこと。高橋から正式にオファーが届き、アイスショーへの出演が決まった。振り返れば、表舞台に立つのは、2020年以来約3年ぶり。稽古場は、夢のようだった。

「滑走屋」公演に向け練習に臨む演者たち(2024年2月5日撮影)

「滑走屋」公演に向け練習に臨む演者たち(2024年2月5日撮影)

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スポーツ

竹本穂乃加Honoka Takemoto

Osaka

大阪府泉大津市出身。2022年4月入社。
マスコミ就職を目指して大学で上京するも、卒業後、大阪に舞い戻る。同年5月からスポーツ、芸能などを取材。