【箱根駅伝story〈17〉駒澤大】鈴木芽吹(下) 史上最強チームへの挑戦

駒澤大(駒大)が10月の出雲駅伝、11月の全日本大学駅伝を制し、大学3大駅伝で史上初の2季連続3冠に王手をかけました。

チームを引っ張るのが鈴木芽吹主将(4年)。出雲で6区区間賞を獲得すると、全日本では7区区間3位に入りました。

下編では今春のミーティングで藤田敦史監督からかけられた言葉や、今季の道のりに触れながら、最後の箱根駅伝へ挑む姿を描きます。

陸上

鈴木芽吹(すずき・めぶき) 2001年6月3日、静岡・熱海市出まれ。長野・佐久長聖高を経て20年春に駒大へ進学。大学3大駅伝に7度出走し、今季は出雲駅伝6区区間1位、全日本7区区間3位。自己ベストは1万メートルが27分30秒69、5000メートルが13分24秒55。「芽吹」の名は「どんな世界でも成長できるように」との願いが由来。

ピンとこなかった藤田新監督からの提案

2023年3月31日。例年よりも早く開花した東京の桜は、若葉へと変わり始めていた。

世田谷区の駒澤キャンパス内の一室。毎年恒例の新年度へ向けたミーティングが開かれていた。

鈴木はチームメイトやスタッフの前で「2季連続3冠」の目標を公言した。すでに1月には、学生だけのミーティングでも共有していた。異論を唱える部員はいなかった。

■■写真26■■

ただ、藤田敦史新監督の見立ては異なった。その場でこう促された。

「『2季連続3冠』ではなく、その目標を昨季の史上最強チームへの挑戦と言い換えたらどうだろうか?」

その声は教室に静かに響いた。

目標が「3冠」となれば、仮に出雲駅伝や全日本大学駅伝で敗れた時にモチベーションが低下しかねない。テーマを置き換えることで、史上初の快挙に挑む選手たちの重圧を少なからず軽減できる。

「史上最強チームへの挑戦」というフレーズには、そんな懸念も含まれていた。

指揮官の言葉を受けとった鈴木は、実のところあまりピンときていなかった。

「負ける可能性も考えて仰っているのかなと思って。自分としては『3冠』という結果にこだわりたかったので、最初はちょっとどうかなと思いました」

選手によって受け止め方は異なったが、藤田監督の意図がすぐにチームへ浸透したわけではなかった。

手応えを得たトラックシーズン

日本学生ハーフマラソンで優勝しメダルを手にする駒大・篠原

日本学生ハーフマラソンで優勝しメダルを手にする駒大・篠原

そのままトラックシーズンが始まった。

駒大勢は1人1人が確かな結果を積み上げていった。

2月にハーフマラソンの日本人学生記録を打ち立てた篠原倖太朗(3年)は、4月8日の金栗記念で1万メートルに出場し、27分43秒13をマーク。赤津勇進(4年)が4月16のかすみがうらマラソン10マイルで優勝すると、安原太陽(4年)は4月23日の日本学生個人選手権の5000メートルを制してみせた。

5月11日開幕の関東インカレでは、唐澤拓海(4年)が2部1万メートルで日本人トップとなる4位。2部ハーフマラソンでは、赤星雄斗(4年)が1位、山川拓馬(2年)が2位に入り、ワンツーフィニッシュを飾った。

チームの奮闘に呼応するように、鈴木も7月15日のホクレンDCで5000メートルに出場し、自己ベストとなる13分24秒55を記録した。

おのおのが「2季連続3冠」という言葉を口にしながら、自らのパフォーマンスでそれを示していった。他大学からは「昨年よりも強いんじゃないかな」という声もささやかれるようになっていた。

小田原中継所を出発する駒大5区鈴木(撮影・鈴木みどり)

小田原中継所を出発する駒大5区鈴木(撮影・鈴木みどり)

鈴木自身も「トラックシーズンに関しては、去年よりも良い状態で過ごせたと思います」と確かな手応えを感じていた。

危機感を覚えた夏

春が過ぎ、夏合宿が始まった。

本文残り57% (2436文字/4309文字)

岐阜県不破郡垂井町出身。2022年4月入社。同年夏の高校野球取材では西東京を担当。同年10月からスポーツ部(野球以外の担当)所属。
中学時代は軟式野球部で“ショート”を守ったが、高校では演劇部という異色の経歴。大学時代に結成したカーリングチームでは“セカンド”を務めるも、ドローショットに難がある。