辰吉寿以輝の現在地〈9〉きれいなボクシングの理由

平成のカリスマ、丈一郎を父に持つ辰吉寿以輝(27=大阪帝拳)。

日本初の親子世界王者につながる道を一途に歩む。

1月23日に日本バンタム級10位与那覇勇気(32=真正)に2-0の判定勝利。

コンパクトな連打、丁寧な試合運びで相手を上回った。

寿以輝と言えば、強打が武器の攻撃特化型ボクサー。

なぜファイトスタイルをがらりと変えたのか。

激闘から1週間で練習を再開した寿以輝に聞いた。

バトル

練習とほど遠いスタイル

寿以輝がきれいなボクシング?

与那覇戦から1週間、ずっと疑問が浮かんでいた。

あの日、リングで見たもの。

大振りはせず、脇をしめてコンパクトに打つ。

小刻みに立ち位置を変えながら、相手のパンチをかわし、細かい連打で反撃する。

悪くない。

むしろいい。

だが、これまで練習からはあまりにも遠かった。

「ゲームプランと違う」

1月31日、大阪帝拳ジム。

午後4時のオープンと同時に、3階でエレベーターを降りた。

まだ閑散としていて、練習生が1人だけ。

辰吉寿以輝とコンビを組むアトントレーナー(撮影・益田一弘)

辰吉寿以輝とコンビを組むアトントレーナー(撮影・益田一弘)

トレーナーのアトンをみつけて、矢継ぎ早に聞いた。

――試合、何であんな感じになったの

アトン ゲームプランと違う。1回で左拳を痛めた。人さし指と中指の付け根。

――ああ、言ってたね。でもパンチを当てるところじゃない

アトン 試合が終わってバンテージ外したら、めっちゃ大きく腫れていた。

――いつ知ったの

アトン 試合が終わってから。寿以輝、全然言わない。ずっと我慢してやっていた。

「初めて見たスタイル」

――え、試合後? セコンドのアトンに言わなかったの

アトン 2回が終わって「おい、寿以輝、練習したこと、どこいった!」と言ったけど、返事は「はい、はい、はい」みたいな感じ。2回から全然違うことやっていた。コイツー、と思ったよ。

――打ち合いを避けたのかな。考えづらいけど

アトン 絶対、100%びびってない。びびってないのに、なぜいかない。練習したのはあれじゃない。

――細かい連打は作戦じゃなかったんだ

アトン 作戦じゃない。僕のゲームプランは3回までに倒す。あんなスタイルは初めて見た。4回にラッシュにいったけど、拳、痛いからね。右も痛いから。うさぎパンチ、みたいになっていた。

3回に右も うさぎパンチ

――右も痛めた? それは言ってなかった。

アトン 3回に右もけがした。昔のけががまた痛くなった。全部分かったのは、試合が終わってから。手が痛いとか言わないから。

寿以輝はリング上の勝利インタビューで左拳について「ちょっと痛めて。飯食ったら治ります」と笑いを誘った。

会見でも「折れてはいないが、ちょっと腫れているぐらい。別に手がとれるわけじゃないので、そのまま殴った」。

それほど深刻そうな口ぶりではなかった。

右拳については何も触れていない。

アトンは興奮気味に続ける。

アトン 試合が終わって「うそー」とびっくりした。

セコンドに相談せず変更

きれいなボクシングは作戦ではなかった。

セコンドにも相談せず、あのスタイルを貫いたのか。

にわかには信じ難い。

アトンと話していると、寿以輝がやってきた。

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スポーツ

益田一弘Kazuhiro Masuda

Hiroshima

広島市生まれ。2000年の入社からバトル、相撲、サッカー、野球を担当して、13年からオリンピック担当。
14年ソチ、16年リオデジャネイロを取材して、18年平昌、21年東京は五輪班キャップを務める。東京五輪後に一般スポーツデスク。
大学時代はボクシング部で全日本選手権出場も初戦敗退。アマチュア戦績は21勝(17KO)8敗。