【再建ワセダの箱根を追う〈10〉】山問題に答えをもたらした「名探偵」/4、5区

早稲田大学競走部は、48回連続93度目となる箱根駅伝を総合7位で終えた。OBの名ランナー花田勝彦(52)を監督に迎えて2季目。「-Rebuild-再建ワセダを追う」と題し、優勝13回の名門の再建に取り組むチームを追ってきた連載は、いよいよ箱根路を迎えた。第10回は4区の石塚陽士(3年)がさいなまれた違和感と使命感、5区の工藤慎作(1年)が披露した解決劇を描く。(敬称略)

陸上

 
 

「やっぱり…」

海沿いの幹線道路を走ってきた道中だった。

呼吸に過度な乱れはない。心肺機能ではなく、夏以降に悩まされ続けてきた自分の走りと感覚の不一致が、3年連続となった箱根路、2年ぶりに走る4区の海岸線でも襲ってきた。

平塚中継所、3区辻(左)は7位で4区石塚にたすきを渡す

平塚中継所、3区辻(左)は7位で4区石塚にたすきを渡す

さいなまれてきた不安が、絶望を強いてくる。レースはまだ、小田原中継所まで10キロも残っていた。

研究職の未来像

「遺伝子組み換え」「ELISA法」「核酸」

12月16日の報道陣向けの取材会では、他選手のインタビューでは聞き慣れない言葉が、石塚の存在を際立たせていた。

通学する学部は教育学部の理学科。研究者になる夢をかなえるために「文武両道」を地でいく世代トップクラスのランナー。大学院進学を決めた理由なども問われていた。

実験は7、8時間程度。その内容をレポートとしてまとめるまでに20時間ほど。そんな日常を送っていた。この時も締め切りが1月2日の午後11時59分までというレポートを抱えていた。

4区石塚

4区石塚

そんな日常は、何よりチーム唯一の1万メートル27分ランナーだからこそ、一層の注目を浴びた。

学生トップランナーの条件である1万メートルで27分台を記録したのは5月の事だった。日体大記録界を27分58秒21で駆け抜け、チームの顔としての立場も鮮明になった。

昨年の箱根駅伝では2区を走り、ついに記録面でも。日体大からの帰路、立ち寄った牛丼屋で花田らと即席のささやかなお祝いをしてもらいながら、すぐに気持ちを切り替え、さらなる上を目指したのがトラックシーズンだった。

そのタイムがチームにもたらした価値は甚大。石塚自身は学業との兼ね合いで、個人練習が主。なかなか合同練習には参加できなかったが、その少ない機会こそが他部員にとっての大きな道標ともなっていた。石塚と走る事で、27分台との〝距離〟を知れる。

「自分も27分台が出せる」

仲間がそんな自信を深めていくきっかけ作りとして、周囲にもたらした貢献度は十分だった。伊藤大志(3年)、山口智規(2年)とともに「3本柱」「上の3人」と称されるようになっていき、3人で9月のチェコへの海外遠征も行った。

チェコ遠征に出発した(左から)石塚、伊藤、花田監督、山口(2023年8月29日撮影)

チェコ遠征に出発した(左から)石塚、伊藤、花田監督、山口(2023年8月29日撮影)

高次元での「文武両道」こそが、石塚のアイデンティーとして、耳目を集めた。合同取材会での注目も自然な流れだった。

ただ…。

「取材会の時も…、不安が大きかったです」

走りに十分な手応えを得るのが難しい状況だった。それでも、質問を受ければ、弱気を見せるわけにはいかない。実情と言葉の隔たりに後ろめたい気持ちになりながらも、気丈に振る舞った。

「正直、駅伝シーズンに入ってから、上位の3本柱と言われる結果は出てなかったですけど、やらないといけないと。プレッシャーでつぶれそうな時もありました」

重圧と使命感の揺れ動きが苦しい日々をつないでいった。

いまできることを

12月29日、花田は4区での起用を伝えた。

エースの自覚からこれまで以上なハードな練習を自ら実践するようになり、学業に割く時間も増えていた。その負担の大きさが、調子の上がらない原因になったと感じていた。

出雲、全日本でのレースぶりにもその気負いが悪い方に作用してると考えた。

「出雲、全日本を見て、気負いからオーバーベース気味に入って後半失速するレースが続いていました。箱根駅伝は4区であれば、1年時に良い感覚で走れていることや、後半上っていることからレース展開的にも前半から過度なハイペースにならないと考えました」

その上でレース直前には、こう背中を押した。

「できることをやってほしい。万全じゃないっていうのは分かってる。その中でも今持ってる中でできることやってほしい」

系列校出身ランナーの役目

石塚はその言葉を胸に、平塚中継所で〝先輩〟の到着を待った。

踏ん張った走りは予想どおりだった。

「辻さんは好調でしたし、良い位置で来るだろうと思ってました」

4位の日大、5位の東洋大、6位の国学院大と大差ない7位で平塚中継所に向かってきた。

早稲田実業高校の一学年上になる間柄。ただ、高校時代の駅伝では、タスキをつないだことはなかった。1区と3区の関係だった。

石塚自身は、系列校の立場をこう説いていた。

「第3陣営ですね」

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スポーツ

阿部健吾Kengo Abe

2008年入社後にスポーツ部(野球以外を担当します)に配属されて15年目。異動ゼロは社内でも珍種です。
どっこい、多様な競技を取材してきた強みを生かし、選手のすごみを横断的に、“特種”な記事を書きたいと奮闘してます。
ツイッターは@KengoAbe_nikkan。二児の父です。