【ブルーペナント〈1〉】守田英正の源流をたどる 金光大阪高での3年間
「ブルーペナント」。その存在を知っている人はどれぐらいいるだろうか。
サッカー日本代表選手が初めて国際Aマッチに出場した際に、「育成年代に特にお世話になった指導者を申告」し、記念となるペナントを作成して送るもの。
日本サッカー協会(JFA)が「育成年代の指導者への敬意として」行っている日本代表・育成指導者表彰制度のことである。
「ブルーペナント」に象徴される育成年代の指導者を追うことで、日本代表選手の源流をたどる。
第1回は、MF守田英正(28=スポルティング)が送ったブルーペナント。
上下編の上。
サッカー
◆守田英正(もりた・ひでまさ)1995年(平7)5月10日、大阪府高槻市生まれ。金光大阪高から流通経済大をへて2018年に川崎Fに加入。2018、2020年にJ1優勝。J1通算81試合1得点。2021年1月にサンタクララ(ポルトガル)へ移籍し、2022年7月からスポルティング(同)でプレーする。日本代表では2018年9月のコスタリカ戦で初キャップ。2022年W杯カタール大会に出場した。代表通算33試合3得点。177センチ、74キロ。
「金光大阪での3年間が自分を大きく変えてくれました。本当に感謝しています。これからも謙虚に頑張ります」
ブルーペナントに添えられた感謝状にこう記している守田が、どんな3年間を過ごしたのか。
金光大阪高校の監督を務める岩松哲也氏(61)を訪れた。
高校時代からは想像できなかった現在の守田
併設する中学校の卒業式が行われていた3月14日、約束の午後2時より少し早く大阪・高槻市にある同校に到着すると、案内された人工芝グラウンドの一角で、練習の指示をする岩松氏の姿があった。
インタビュー場所のクラブハウスへ移動し、コーヒーを淹れる準備をしてくれていたその時、記者に日本代表メンバーのリストが届いた。取材当日は3月にワールドカップ(W杯)2次予選を戦う日本代表のメンバー発表の日で、午後2時が発表時間となっていた。
そのリストに、守田英正の名前があった。
そのことを伝えると、「ああ、入ってたか。いろいろ言ってたから、外されるかもと思ったけど」
苦笑いを浮かべながら、メンバー入りを喜んでいる様子だった。
「いろいろ言ってた」というのは、1月のアジアカップで敗退した後、守田が森保一監督への要求を発していたことを指している。
「ピッチ外からアドバイスがほしかった。決めごとが定まっていなかった」
それでも守田が継続してメンバーに入ったことに安堵(あんど)しながら、岩松氏は続けた。
「監督に対してああいう発信をする、公で意見を出すことをしたら(今後自分が)外されるかもしれへんって思うのも当たり前のこと。その中で、ああいう発言をできる自分を持ってきたっていうのは、自分に自信を持って、日本サッカーをもっとこうしたいっていう思いを持ってんのかなって。違うように解釈されて、言葉だけが先走ってしまうこともあるから、慎重にやってほしかったなっていう思いもあるけど」
スキャンダラスに扱われかねない発言の仕方に苦言を呈しつつも、守田の確かな変化を感じてもいるようだった。
「本人は日本サッカーのためにっていう意識が絶対ある。今まではそういうことを出すっていうのがあんまりなかった選手やから、いろんなサッカーを経験しながら、自分をしっかり持ち合わせて、発信できるようになったんかな。あんなこと、代表に選ばれるか、選ばれへんかの選手には絶対言えへんでしょう。海外行って、いろんなところで自分を磨いて、海外の選手との接点の中で、変わってきた。今の守田を見てると、そういう意味での成長を感じる。どんどん海外に出て、自分から発信できるような環境を作ったら、もっとレベルが上がっていくんちゃうかなって」
プレーで姿勢を示すタイプで、自分から前に出て人を動かすようなリーダーではなかった、という高校時代の守田からは想像できなかった現在の姿に、驚きを隠せないでいた。
では高校時代の守田は、ここでどんな3年間を過ごしたのか。
岩松氏に振り返ってもらった。
◆岩松哲也(いわまつ・てつや)1962年(昭37)12月10日、大阪・高槻市生まれ。サッカー歴は高槻三中、高槻南高、大体大。大学卒業後、金光大阪の保健体育教諭に着任して、サッカー部監督に。監督として高校総体8度、全国高校選手権2度出場。主な教え子はMF斉藤大介、GK林卓人、MF中村太亮、MF守田英正。日本サッカー協会A級ジェネラルライセンス保有。
金光大阪入学は「流れの中で」
1961年生まれの岩松監督は、大阪体育大卒業後に、金光大阪の教員となった。サッカー部の指導者がいなかったことで、初年度から監督就任したという。
その金光大阪に守田が入学したのは2011年。高槻市立第九中から入ってきた。
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1980年(昭55)9月9日、愛知県生まれ。小3でサッカーを始める。法大卒業後、商社、フリーランスのサッカーライター、商社、外資系半導体メーカーでの勤務をへて、23年4月に日刊スポーツ新聞西日本に入社。日本サッカー協会B級ライセンス保有。日本アンプティサッカー協会技術委員長。X(旧ツイッター)は@j_nagata
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