【ブルーペナント〈5〉】前川黛也 広島皆実高で芽生えたGKとしての可能性

「ブルーペナント」。その存在を知っている人はどれぐらいいるだろうか。

サッカー日本代表選手が初めて国際Aマッチに出場した際に、「育成年代に特にお世話になった指導者を申告」し、記念となるペナントを作成して送るもので、日本サッカー協会(JFA)が「育成年代の指導者への敬意として」行っている日本代表・育成指導者表彰制度のことである。

本企画では、この「ブルーペナント」を送られた指導者を追うことで、日本代表選手の源流をたどっていきたい。

第3回となる今回は、GK前川黛也(だいや、29=ヴィッセル神戸)が送ったブルーペナントを紹介する。

サッカー

前川黛也(まえかわ・だいや)1994年(平6)9月8日、広島市生まれ。広島ジュニアユース、広島皆実高、関西大を経て2017年に神戸加入。2018年11月の名古屋戦でリーグデビュー。2021年に日本代表選出。元日本代表GK和也さんを父に持ち、ともにGKとしての代表選出は初。神戸がリーグ初優勝を果たした2023年にはフェアプレー個人賞を受賞。191センチ、86キロ。

シュート練習でセーブする日本代表GK前川(2024年6月8日撮影)

シュート練習でセーブする日本代表GK前川(2024年6月8日撮影)

2024年6月にピースウイングスタジアム広島で行われた2026年W杯北中米大会アジア2次予選のシリア戦。

前川は、日本代表選手として地元広島に凱旋(がいせん)した。

「小さい頃からの夢は、サッカー選手っていうよりも代表になることだった。地元の広島で(代表選手として)練習からできるってのは、本当にうれしい。頑張って良かったなと思う」

父和也さん(56)と親子二代での日本代表選手になるまでに成長したGKは、自身が成長を遂げた街への特別な思いを口にした。

2021年3月に代表初選出されるも、試合出場はなかった。その後も招集されながらもけがやチーム状況で出番を得られず、代表デビューは2023年11月の2026年W杯北中米大会アジア2次予選ミャンマー戦となった。

日本対ミャンマー 日本の先発メンバー。前列左から菅原、中村、旗手、守田、堂安、後列左から谷口、伊藤、橋岡、鎌田、小川、GK前川(2024年6月6日撮影)

日本対ミャンマー 日本の先発メンバー。前列左から菅原、中村、旗手、守田、堂安、後列左から谷口、伊藤、橋岡、鎌田、小川、GK前川(2024年6月6日撮影)

そして2024年6月の同ミャンマー戦で初先発。堂々としたプレーで日本のゴールを守った。

ついに日本代表選手として大きな一歩を踏み出した前川は、広島の地でどのような時間を過ごしたのか。

日本代表GK前川黛也から送られたブルーペナントを持つ藤井潔氏(撮影・永田淳)

日本代表GK前川黛也から送られたブルーペナントを持つ藤井潔氏(撮影・永田淳)

その一端を聞くため、当時の広島県立広島皆実(みなみ)高の監督で、現在は安芸南高を率いる藤井潔氏を訪ねた。

話を聞いたのは、広島皆実高近くにあり「皆実のソウルフード」と言われるお好み焼き「ひらの」。広島皆実の生徒だけでなく、サンフレッチェ広島の選手も訪れるという店舗で、前川について語ってもらった。

広島皆実サッカー部の選手が通う「ひらの」(撮影・永田淳)

広島皆実サッカー部の選手が通う「ひらの」(撮影・永田淳)

前川からのブルーペナント「もらった時は、正直うれしかったですよ」

広島市で生まれ育った藤井氏は、名門の広島国泰寺高から広島大学に進み、サッカー指導の道を志した。当時サッカー部を率いていた沖原謙監督が、スチュアート・バクスター監督の通訳兼コーチとして広島に出向したこともあり、当時最先端のサッカーに触れる機会があり、その奥深さにはまった。「将来はサッカーに携わる仕事をしたい」。そう考えていた藤井氏は、母が教員だったこともあり、高校教師を目指すようになった。

体育科教諭として最初に赴任した大崎高(現大崎海星高)で勤務した後、W杯日韓大会が開催された02年に広島皆実高に異動した。そこから17年勤務した広島皆実では、監督としては2年目だった2008年度の全国高校サッカー選手権で全国制覇。2019年からは現在の安芸南高に勤務している。

前川は日本代表に選出された際、特にお世話になった指導者に送る「ブルーペナント」を、高校時代の恩師である藤井氏に送っている。

日本代表GK前川黛也が藤井潔氏に送ったブルーペナント(撮影・永田淳)

日本代表GK前川黛也が藤井潔氏に送ったブルーペナント(撮影・永田淳)

藤井氏はその感謝状とペナントを受け取った時のことを「もらった時は、正直うれしかったですよ」と感慨深く振り返る。

チームとして全国の頂点に立ったことがあるとはいえ、指導者として個人として表彰される機会は少ないだけに、格別の喜びを感じたという。

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スポーツ

永田淳Jun Nagata

Aichi

1980年(昭55)9月9日、愛知県生まれ。小3でサッカーを始める。法大卒業後、商社、フリーランスのサッカーライター、商社、外資系半導体メーカーでの勤務をへて、23年4月に日刊スポーツ新聞西日本に入社。日本サッカー協会B級ライセンス保有。日本アンプティサッカー協会技術委員長。X(旧ツイッター)は@j_nagata