24年前の2000年7月。大きなニュースがサッカー界を、スポーツ界を駆け巡りました。当時スーパースターだったポルトガルのフィーゴが移籍を発表。エースとして活躍していたバルセロナからライバルのレアル・マドリードに、当時最高額の移籍金を伴ってではありますが、いわゆる“禁断の移籍”でした。金額は6000万ユーロとも言われており、当時のレートで約77億円。当時の史上最高移籍金額となりました。

しかし、裏では多くのことが起こっていました。バルサ、マドリード共に新会長がこの移籍には絡んでおり、このスーパースターを手に入れる、そして手放すことが今後の自分のクラブの行末を占うことになっていました。そこで、あまり表に出ていなかったのが経済的な話です。当時のマドリードは、財政的に400億円近い負債を抱えた状態でした。バルセロナも同様に大きな負債を抱えていたようでした(バルセロナの金額は特に公表なし)。マドリードは現会長でもあるフロレンティーノ・ペレス氏が初当選し、華のあるスターをスタジアムに呼びたいという表向きの理由。そして、チケットの売れ行き、その後に訪れるマドリードの中心地に存在していた練習場の郊外への移転やら、大きな案件がある中での裏の命題は400億円もの巨額負債をどう解消するのかということでした。

一方バルセロナも表に出せないぐらいの大きな負債を抱えており(未公表ではありますが、現地の報道などでは400億円とも500億円とも言われておりました)、そのバルセロナは地元カタルーニャ出身の実業家でもあったジョアン・ガスパール氏がクラブの立て直しを命題に新会長の座に。当時の最高移籍金額でもある77億円もの大金がキャッシュで懐に入る状況で、ジョアン氏がとった選択は全額を選手の補強へ。フィーゴ売却で獲得した資金を使いアーセナルからエマニュエル・プティとマルク・オーフェルマルスを、バレンシアCFからジェラール・ロペスを獲得。しかしながらこの選択が目に見える形での結果に出ることはなく、大型補強をしたとはいえ4季連続で無冠となりガスパール氏は退任となりました。マドリードのペレス氏は、選手投資に回した部分もありましたが一番手を入れたのは会社経営の部分。幹部の総入れ替えを実施するなど、根本的にクラブを取り巻く組織そのものを改革。反対意見も多かったようですが、結果的にピッチ上での銀河系軍団を形成に合わせる形でクラブの内部そのものを大きく改革し、新組織が飛躍する形となりました。市内にあった練習場を郊外に移したことが一番の財政改革につながってはいるのですが、マイナス400億円を一気にプラス400億円に転換するという、経済的に大きな結果に繋がり現在に至ります。

ここでのポイントは財テクということになるのですが、日本のJリーグに今一番足りないのは収入面の確保。一概な比較は出来ませんが、欧米市場との大きな違いは選手の売買におけるクラブの収入面に感じます。欧米市場では選手の移籍金が20~30%の売り上げを支えるクラブも多く存在するほど。この部分を無くしてクラブ経営は成り立ちません。国内経済状況が厳しい中で、秋春制への移行もあり、いかに外からの収入を増やすかが今後を占うのかもしれません。

今は日本代表がワールドカップでグループリーグを突破し、ベスト8を狙う時代。プレミアリーグやブンデスリーガの主要チームの主要メンバーに日本人選手が名を連ねる時代です。ビジネス面においても日本企業の海外スポーツクラブの活用が見られる中、Jチームの活躍も期待したいところです。

今回でこのコーナーもひと区切りとなります。

2018年7月のスタートから、長期にわたりありがとうございます。世界各国で行われるサッカーとそれにまつわるお金の話は、切り離せません。今後も世界のそして、日本サッカーの飛躍を祈りながら締めたいと思います。

【酒井浩之】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「フットボール金融論」)