シンクロ日本が復活-。日本の乾友紀子(25=井村シンクロク)三井梨紗子(22=東京シンクロク)組が、188・0547点で08年北京五輪以来、2大会ぶりに銅メダルを獲得した。前日15日、決勝に持ち越すテクニカルルーティン(TR)ではライバルのウクライナに0・0144点差の4位だったが、この日フリールーティン(FR)で逆転。井村雅代ヘッドコーチ(HC)の66歳の誕生日に、復活メダルという最高のプレゼントをした。

 4年前は敵国にいた恩師と抱き合う。夢見た光景。乾は三井とともに、ちょうど66歳の誕生日だった井村HCの首に銅メダルをかけた。「よくやったね。おめでとう」。きつい練習で何度も泣かされた鬼コーチの目にも光るものがある。復活の栄光までは、長く険しい道のりがあった。

 12歳だった02年。地元滋賀から大阪の井村HCのクラブに移籍し、指導を受け始めた。「日本一になると思った。足がいい」と井村HC。秘蔵っ子は「いつか先生と世界の勝負の舞台に立ちたい」と願った。ただ2人の運命の歯車は狂い出す。04年アテネ大会後、井村HCは世代交代を理由に日本代表を外れ、06年には中国代表監督に就任。離れ離れになった。

 18歳になった09年、初めて選ばれた日本代表に井村HCはいない。12年ロンドン大会に初出場。低迷中の日本にメダルを争う力はなかった。敵国だった井村HCに選手村へのシャトルバスで偶然再会。「何をこわごわ泳いでいるのか。試合はある意味ケンカや」と気合を入れられた。その言葉は深く胸に刻まれた。

 ロンドン大会のメダルゼロに危機感を抱いた日本水連は14年2月、10年ぶりに井村HCの日本代表復帰を決めた。やっと念願はかなったが、そこからが新たな地獄の始まりだった。過去14個の五輪メダルを得た井村HCのスパルタ式指導は半端ではない。「乾がエースではチームがだめになる」。ずぬけた力があるからこそ、一番厳しくされた。

 「もうできない」。練習中にプールから飛び出すと、トイレに駆け込んだ。カギを掛けて個室にこもる。約3時間も泣き続けた。覚悟を決め、プールに戻ると「この人にこのままキャプテンをやらせていいのか」とみんなの前で言われた。その後も1日12時間を超える練習の日々。オフの日も自主練習と、事実上の休みは正月ぐらいだが耐えた。

 小さい頃、テレビで憧れた日本代表は常にメダルを手にしていた。どんなにつらくても「メダルを取りたい」との思いが、ギリギリの状況で心の支えになった。昨年、五輪日程が発表されると、デュエット決勝は井村HCの66歳の誕生日。三井とともに「先生にメダルをかけることが一番のプレゼント」と誓い合った。

 メダル獲得後、井村HCに「ロンドンでやめなくて良かったでしょ」と言われた。出会って14年。恩師と秘蔵っ子が、ついに夢を実現させた。【田口潤】