【宇都宮ブレックス〈2〉】村岸航、大型PG構想の期待も苦労した大学時代

宇都宮ブレックスの気になる話題を広く深く追いかけます

ブレックスのゲームは楽しい。昨季ブレックスアリーナや日環アリーナに通って、今さらながら確信しました。選手やクラブのことをもっともっと知りたいし、取材で得たものを、ブレックスを愛する方々にお伝えしていきたい。週1回のペースで、ブレックスにまつわる様々な話題をお届けしていきます。練習生から昇格した村岸航選手(26)の軌跡をたどる2回目。周囲から「チキン」とからかわれ、苦しんだ筑波大時代を振り返ります。

バスケットボール

筑波大時代の村岸。当初はフィジカル面で苦戦を強いられた(提供・筑波大吉田准教授)

筑波大時代の村岸。当初はフィジカル面で苦戦を強いられた(提供・筑波大吉田准教授)

身体能力に明晰頭脳、心躍る逸材の入学

筑波大准教授で、男子バスケットボール部ヘッドコーチの吉田健司HC(64)の耳に、またあの言葉が聞こえてきた。

「村岸、チキンになってたよな」

チキン=臆病、挙動不審。学生の会話を聞いて、吉田HCはため息を漏らした。

高校時代の村岸を初めて見た時、吉田HCの心は躍った。大きな体で運動能力が高く、軽々とダンクシュートを決める。加えて「超」がつく進学校に合格した頭脳の持ち主。天は二物を与えた、と思った。

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1988年入社。プロ野球を中心に取材し、東京時代の日本ハム、最後の横浜大洋(現DeNA)、長嶋巨人を担当。今年4月、20年ぶりに現場記者に戻り、野球に限らず幅広く取材中。