[ 2014年1月23日12時26分

 紙面から ]13年10月、高梨沙羅(右)との対談で自らの経験談を語る山田いずみコーチ<連載:高梨沙羅

 初代女王のプレリュード第3回>

 女子ジャンプが初めて世界選手権に採用された08-09年シーズン。第一人者の山田いずみ氏(現全日本コーチ)の後ろにはいつも高梨がいた。いや、むしろ、山田氏が連れて歩いたと言った方がしっくりくる。試合会場などで関係者に会うたびに「沙羅をよろしく。強くなりますよ」と紹介して歩いた。女子ジャンプ界を託したい思いだったのだろう。そのシーズンを最後に山田氏は引退した。

 出会ったのは高梨が小学3年の頃だ。テレビで見て憧れ、競技にのめり込んだ経緯もあって、はじめは緊張で「怖い」とさえ思ったという。だが、出会った直後に出したお礼の手紙から始まり、日々の出来事などを書いて送るうちに、どんどん距離が近づいた。

 山田氏は「女の子がジャンプをしたら子供が産めなくなる」と真顔で言われるような時代を過ごしながらも諦めず、道を作ってきた。高梨はそばにいて、それを感じ取ってきた。だからこそ11年4月に五輪の新種目に採用されることが決まった時、「先輩たちがレールを敷いてくれた。しっかり歩いていきたい」と決意を口にした。

 昨年7月、高梨側は山田氏に個人コーチへの就任を打診した。誰よりも信頼する特別な存在に、五輪シーズンにどうしてもそばにいてほしかった。母千景さんは「沙羅が望んでいる」と技術はもとより、精神的な支えになってほしいと懇願した。憧れの人に個人コーチとしてサポートを受ける高梨は「選手の気持ちになってくれる」と感謝する。

 高梨の自宅には、山田氏が世界選手権に出場した時に使ったヘルメットとツーショット写真が飾ってある。出会いから9年。いつか五輪に-。夢見た世界に2人で挑んでいく。【松末守司】(つづく)