新型コロナウイルスに翻弄(ほんろう)された2020年、当たり前だった日常が奪われた。高校サッカーには、夏と冬の2つの全国大会がある。夏のインターハイが失われた一方で、冬の全国選手権は守られた。ただし、190校が参加した全国屈指の激戦区・神奈川では、原則として無観客開催となった。集大成とすべく3年目が不完全な形となる中で、選手たちはどういう思いで戦ったのか。神奈川のサッカー部員の姿を追った。
■先の見えない暗闇にいた春
春先の3月半ば。広場の片隅に1人の高校生がいた。ボールに座り、遠くをぼんやりと眺めている。「毎日ここに来てボールを蹴っています」。東海大相模のFW増田鈴太郎(りんたろう)だった。休校で部活動が停止し、先の見えない暗闇にいた。「しょうがない、で片付けられるのは嫌です。この1年は人生の中で一番大事だと思っているし、悔しい」。1年生から頭角を現し、試合に出場。前年夏は右サイドのアタッカーとして活躍し、神奈川第2代表としてインターハイに出場。再び全国の舞台に立つことを目標としていた。加えて進路の不安もあった。「この1年をもう一度最初からやり直したい…」。悲痛な思いを口にしていた。
東海大相模は2017年、19年と神奈川代表としてインターハイに出場するなど、近年は強豪校の1つに名乗りを上げる。希望者には広く門戸開放するため、部員は県内最多の260人を数える。丸3カ月のブランクを経て6月5日に学校が再開し、部活動も段階的に始まった。5つのカテゴリーが密を避けて活動するため、多くの制限がかかった。全国を目指すトップチームが対外試合を行えたのは7月24日、実に5カ月ぶりだった。有馬信二監督が言う。「もう別のチーム。どう動いていいのか、どう選手間で距離を取っていいのか分かっていなかった」。
夏休みも大幅に短縮された。宿泊を伴う活動はできず、練習試合もままならなかった。「日頃から練習時間は長くないけど、その中身だとか強度とか、無理はできなかった。しっかりトレーニングできたという実感がなかった」(有馬監督)。そんな不完全な状況で、全国高校選手権2次予選(32校)を10月13日に迎えた。
■感染症予防から月曜開催へ
1回戦の旭戦。増田は9番を背負い、チームの最前線に立っていた。センターフォワードとして鋭い動き出しから積極的に突破を仕掛け、ゴールへと向かった。チームはセットプレーから先制すると、後半に増田もゴール前のこぼれ球に素早く反応し、右足でゴールネットを揺らした。4ー1の快勝となった。
続く慶応戦。感染症予防のガイドラインから当初の日程が変更になった。異例の月曜の放課後の開催。終始ボールを保持し、優勢に進めた。だが後半半ば、ペナルティーエリアの右角から相手の強烈なシュートがゴールに突き刺さった。反撃も及ばず、0-1で敗退。増田ら選手は枯れるほどの涙を流した。想定外の結末に、有馬監督もかける言葉が見つからなかった。増田は「やっぱり選手権という舞台は特別です。技術的にというより、精神面の方が充実していないと勝てないと思いました」。
■インターハイ連覇の夢消滅
部員は少数精鋭の54人。近年、神奈川をリードするチームが、中村俊輔の母校としても知られる桐光学園だ。4月下旬、インターハイ中止の報に主将の北村公平は絶句した。「気持ちは(顔に)出さないようにしたつもりでしたけど、やっぱりショックでした。去年優勝し、今年は自分たちだという思いがあった。悔しさというか、何もできない空しさを感じた」。
173センチというGKとしては小柄ながら、素早い瞬発力に強い闘争心を併せ持ち、1年生からレギュラーの座をつかんだ。1年夏のインターハイで準優勝、その冬の全国選手権にも出場。さらに高校2年の夏には日本一を手にした。鈴木勝大(かつひろ)監督から指名され、主将として強い意欲を持って臨んだシーズンだった。
「3年連続で夏の全国決勝に立つというモチベーションが、チームにありました」。桐光学園OBで元Jリーガーの鈴木監督はそう話した。「自分も3回、選手として戦力外通告を受けた。でも、それは次に目標とするものが見えましたけど、今回のコロナはなかなか景色が見えない。この子たちの3年間、最後の最終章はここしかない。気持ちを整理させて、冬に向けさせるのに、僕も答えが見つからなかった」。
学校は厳しいガイドラインを設定し、2月下旬から6月上旬まで部活動は完全に停止。再開後も健康を優先した。微熱があれば休ませ、一定期間はチームへの合流も見合わせた。夏場も例年のような宿泊行事は中止。試合に向けたメンバーも勝負よりも健康面を優先させた。何よりチームづくりを難しくしたのが、選手の心の持ちようだった。
「コロナの影響だなと思う選手が何人かいた。練習に集中し切れていない。言葉にはしないが、どうせ冬があるか分からないという」。そう話す中で、鈴木監督は「北村がいなければ、チームは沈没していた。彼がキャプテンでなければ」。そう何度も繰り返した。
■手の先をすり抜けた決勝点
迎えた最後の選手権予選。昨年のスーパーエース西川潤(C大阪)のような突出した選手はいないが、総合力で3年連続の決勝へとたどり着いた。11月28日、高校生たちの聖地・ニッパツ三ツ沢球技場、相手は桐蔭学園。だが、その風景は例年とはまったく異なるものだった。
今大会は無観客開催となり、準決勝と決勝のみ、2週間の検温をクリアした保護者と部員が入場を許された。いつもなら…。満員のスタンド、ブラスバンドが奏でるアントニオ猪木のテーマ曲「炎のファイター」が風に乗って響き渡る。そんな「ハレの日」が一変していた。北村は「さみしかったというか、もっと観客がいる中でやりたかった。自分たちのプレーを多くの人に見てもらいたいなという思いはありました」。
1点を争う好ゲーム。桐蔭学園が取れば、桐光学園が追いつく。北村は後半11分、相手の長い縦パスをケアしようと前へ出た。そこを突かれ、遠い位置からのループシュートでゴールを奪われた。だがチームは直後に追いつき、両チーム譲らず延長戦へ。その前半9分、ファウルで相手にPKを与えた。キッカーのシュートはゴール左へ。北村が伸ばした手の先を抜け、ゴールネットを揺らす。決勝点となった。桐蔭学園2-3と敗れ、全国大会はならなかった。
北村は常に強い自分を演じてきた。主将としてチームを鼓舞し続けた1年。絶対に泣くまいと決めていた。だがロッカールームを出ると、こらえていた感情が堰(せき)を切ったようにあふれ出た。「覚悟はありましたけど、想像以上にコロナもあって難しかった」。夜、帰宅すると両親に感謝の言葉を伝えた。「3年間、ありがとう…」。再び涙が止まらなくなった。短い限られた時間でやりきれた。そう思った。
■ライブ配信で気持ちが一つ
東海大相模のFW増田には“延長戦”があった。選手権予選に敗れた直後、3年生は有馬監督から「このまま引退するか、残るリーグ戦を戦うか」と問われた。リーグ戦とは、今季は9月から12月にかけ、トーナメント戦の合間に行われている県内の公式戦「Kリーグ」のこと。すぐさま「やらせてください」と即答した。そこから3年生だけのチームでK2リーグの3試合を戦った。
12月5日の最終、三浦学苑戦。東海大相模は重圧から解き放たれたかのように躍動し、増田らのゴールで7-0と快勝した。選手権予選敗退後は3連勝。この日も無観客だったが、ライブ配信による画面の向こう側で保護者、仲間が「引退試合」を見守った。試合後のメンバーたちは、この場にいない部員の練習着を手に持ち広げ「お前たちもここにいるぞ」とエールを送った。受験勉強の手を休めて見ていた仲間からは、喜びの電話が有馬監督にかかってきたという。増田の父・哲也さんは「幼少期から一緒に戦ってきただけに、高校最後を生で見られないのは残念。でも大きく成長させてもらったと思います」。
■他では補えない仲間の尊さ
引退後も、増田の姿は放課後のグラウンドにあった。関東の有力大学への進学が決まり、サッカーを続ける。コロナで損なわれたシーズン。増田は「1人で練習することが多かったですし、仲間の尊さというか。自粛期間が明けてからは学校の仲間と会うのが楽しいし、やっぱり人と関わることはほかでは補えない。いつも通りだと気づけない部分だったり、普段なら見えない他人の頑張りが見えた。違う角度から物事を見られるようになったと思います」。不安に押しつぶされそうだった春とは違い、晴れやかな表情だった。
激動の2020年が暮れていく。まだコロナが収束する気配はない。だが、人はこういう苦境の中で新たなやり方を模索し、光を求めて結束していく。そもそも人生とはイレギュラーの連続だ。それとどう向き合い、周囲と手を取り解決していくのか。転んでもただでは起きぬ-。そんな未来への1歩となることを願っている。【佐藤隆志】