2月9日開幕の平昌五輪(ピョンチャン・オリンピック)代表に男女シングルから5選手が名を連ねた。それぞれが走り抜けている山あり谷ありの五輪イヤーを、新シリーズ「今季のターニングポイント」で振り返る。初回は女子のエース宮原知子(19=関大)。左股関節疲労骨折から320日ぶりに実戦復帰を果たした、昨年11月のグランプリ(GP)シリーズ第4戦NHK杯(大阪)に焦点を当てる。

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 五輪開幕が22日後に迫った今月18日、柔らかい表情の宮原が2カ月前の一戦を懐かしげに思い返した。

 「すごく『緊張するかな』という不安があった中で、滑る楽しさをあらためて感じられた。その経験がスケートの楽しさを思い出させてくれた。まだまだですが、少しだけ強くなった部分かなと思います」

 昨年1月に左股関節疲労骨折が判明してから、次々に新たな箇所の痛みが発生。320日も実戦から離れた期間は強くなるための時間だったと、胸の中の懐かしい感情が教えてくれた。

 17年11月10日、力強く踏みしめたNHK杯の舞台が宮原の気持ちを変えた。ショートプログラム(SP)冒頭の連続3回転ジャンプは3回転-2回転。6位に終わっても「悔しい気持ちはあるんですが、全日本に向け『これからだな』っていう気持ちが強くなりました」とスイッチが入った。

 1カ月前の10月には浜田コーチから思わぬ声をかけられた。「5年後(の22年北京五輪)に向けて練習しよう」。さらにはNHK杯を辞退し、GP第6戦スケートアメリカの1試合で全日本選手権に臨むプランまで提案された。理想の復帰過程から遅れ、自然と焦っていた自分への気遣いが、肩の力を抜いてくれた。

 SP翌日のフリーで1つ順位を上げると、宮原は「疲れている部分はあるんですけれど、体よりも気持ちがすごく元気で、思っているより疲れていないです」と笑った。10月まで本格再開がずれ込んだジャンプこそ失敗が目立ったが、ステップと3つのスピンの2つで最高評価のレベル4。その自信が2週後のGPスケートアメリカ優勝、12月の全日本選手権4連覇での五輪切符獲得につながった。

 浜田コーチは今の宮原を「(昨季はケガで)4大陸も世界選手権も出られなかった。だから、すごく出たがりになりました。あれも出たい、これも出たいと、人前で何かをすることを積極的にするようになりました」と評した。その教え子はNHK杯後に「今シーズンはせっかくここまで来られたので『思い切って滑ったらいいかな』と思えた」と笑っていた。スケートを楽しむ純粋な気持ちが、女王を変えた。【松本航】

 ◆宮原のNHK杯 17年11月10日のSPは3回転ルッツの回転不足などで65・05点の6位。翌11日のフリーで126・75点を加え、合計191・80点の5位で日本人最上位。メドベージェワ(ロシア)が224・39点で制した。