つい最近までオリンピック(五輪)の投てき種目で日本の女子選手が世界の頂点に立つなど想像もできなかった。体格や筋力で欧米の女性には太刀打ちできないと思っていたからだ。そんな劣等感に起因する私の固定観念を、パリ五輪陸上女子やり投げの北口榛花が吹き飛ばしてくれた。
金メダルを決めた決勝1投目の65メートル80は2位に2メートル近い大差で、北口の5投目64メートル73も2位の記録を上回る“別格”の強さだった。風の影響が勝敗を大きく左右する種目だが、この日は風もほとんどなかった。海外の猛者相手に地力で勝ち取った金メダル。夢を見ているようだった。
男女の現世界記録保持者を輩出したやり投げ大国チェコでの修業で成長を遂げた。周囲の後押しを受けず、たった一人で異国に渡り、チェコ語を覚えることから始めて、意思疎通や自己表現の大切さを学んだという。そんな地道な苦労も競技の理論や技術とともに血肉になったのだろう。
北口の競技歴で興味深いのは、高校からやり投げを始めていることだ。
世界のレベルが飛躍的に上がった近年は、あらゆる競技で幼少期から一つの競技に絞った一貫指導がメダリストへの近道とされ、今大会も3、4歳から父親やコーチの英才教育を受けてきた選手がメダルをつかむ例が目立った。
実は04年アテネ五輪以降、日本のメダリストは部活動出身よりも、親の指導や近所のクラブや道場で幼い頃に競技を始めた選手が多数派になった。五輪連覇の偉業を達成した体操の内村航平とレスリングの吉田沙保里は3歳、競泳の北島康介は5歳で競技を始めている。
一方、北口は小中学校では全国大会に出場するほどバドミントンと水泳に熱中した。持って生まれた体格や資質に加えて、2競技で培った上半身の柔軟性や、肩関節の可動域の大きさが、やり投げに生かされたのだろう。
子どもの頃に複数のスポーツを経験することの重要性。そして、近年主流の英才教育ではなくても、メダルへの道があることを体現してくれた。
08年北京五輪で太田雄貴さんが日本フェンシング界初の表彰台となる銀メダルを獲得して以降、勢いづいた日本フェンシング界は世界トップ戦線で結果を残し続け、今大会もメダルを量産した。北口の日本女子初のトラック&フィールド金メダルも、日本陸上界に新たな時代の扉を開いたのだと思う。
もっとも北口もまだ26歳。試合後「まだまだやり投げを極めていきたい」と、さらに高みを目指す決意を表明し「選手村で70メートルを投げる夢を毎日見た」と笑った。きっと近い将来、その夢も実現させてしまうのだと思った。【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「五輪百景」)