【少年野球に迫る第5弾】「教え子」が全国大会に!元監督、現場に直行する。

第52回日本リトルシニア日本選手権大会(7月31日~8月5日=東京・神宮球場ほか)には、全国から32チームが参加しました。その中に、私が1年間だけ学童野球チームの監督をやらせてもらった当時の選手がいました。「教え子」と呼ぶほど、たいしたことは教えていないのですが、ハイレベルなリトルシニアの激戦を勝ち抜き、全国大会の舞台に立つのは誇らしいこと。あくまで取材…として、どきどきしながら球場に足を踏み入れました。

その他野球

リトルシニア日本選手権

東京神宮の三塁ランナーコーチボックスに立つ山崎夏芽

東京神宮の三塁ランナーコーチボックスに立つ山崎夏芽

リトルシニア日本選手権は神宮球場を主会場に、首都圏の各球場で行われる。

開会式は7月31日の夕方に行われ、翌8月1日から1回戦。同5日の決勝戦まで、ダブルヘッダーを行わず最大5連戦で行う。

甲子園の高校野球と違い、休養日がなく過酷な日程ではあるが、チームの滞在費、ボランティアで指導する監督、コーチが仕事を休んでベンチ入りしている事情を考えれば、最大限に考慮された日程でもある。

前々日、ヤングリーグ選手権会場の兵庫・淡路島から帰京したばかりだったが、コンクリートやアスファルトの照り返しで、猛烈に暑く感じた。瀬戸内の島の吹き抜ける風が恋しい。足を運んだのは大田スタジアム。人工芝の照り返しが強烈で、熱くてまぶしかった。

東京神宮のコーチボックスに

第1試合は東京神宮リトルシニア(東京)-五條リトルシニア(京都)。冒頭で触れた「教え子」は東京神宮の背番号17、山崎夏芽(なつめ=3年、以後、私のなじみのよさから「夏芽」)は三塁コーチボックスに立っていた。

東京神宮3回裏2死一塁、高岡の三塁打で一塁から一気に本塁を目指す小南(右)。夏芽は大きく手を回した

東京神宮3回裏2死一塁、高岡の三塁打で一塁から一気に本塁を目指す小南(右)。夏芽は大きく手を回した

ここまで東京神宮を取材する機会に恵まれず、おたがいの自宅は1キロも離れていない距離だが、学童野球を終えてから姿を目にするのは初めてだった。

チームメートだった次男から聞くところ、主に代走と守備固めをしているという。コーチボックスに立つ姿は、スラリと背が伸び、スプリンターの風情だった。中学校では陸上部に所属して、100メートル走は11秒台前半を記録する。

この世代の東京神宮は、春の全国選抜にも出場(2回戦進出)、夏季関東大会も4位の好成績だった。

特に、今大会連覇を狙う世田谷西シニアに公式戦連勝中で、ジャイアンツカップの予選も勝ち抜き、8月下旬の大会に11年ぶりに出場するなど、この夏の活躍が期待されていた。

しかし、選手権1回戦は思わぬ展開となる。2回表、エース高岡龍一(3年)が2死満塁から4連続四球と乱れた。

さらに3連打も浴び一気に9失点。大差では夏芽に代走の出番は訪れず、唯一の得点となった3回裏の高岡の適時打の際に、腕をぐるぐる回したのだけが見せ場だった。

試合が乱れたのは2回だけで、1-9のコールド負け。ジャイアンツカップに向けて仕切り直すしかなくなった。

2回表の9失点はあまりにも大きかった

2回表の9失点はあまりにも大きかった

下町の学童野球のキャプテン

足立区で生まれ、育った夏芽が野球を始めたのは小学1年生から。地域の学童野球チーム「梅田ヤングスターズ(略称「梅ヤン」)」に入り、毎週末、荒川河川敷のグラウンドに通った。

入部当時から足が速く、肩も強かった。低学年チームでは早くから試合に出場して、大会の先発投手を任されることもあった。

全身でバットを振り抜き、45メートル先にホームランラインのあるローカル大会で何本もホームランを放ち、記念品のメダルをたくさん持っていた。

5年生の終わりになり、新チームになると、チームの事情で急きょ1年だけトップチームの監督を任された私は、夏芽を主将に指名した。

守備位置はセンター。レフトやライトまでカバーしてくれる脚力、常にセンターゴロを狙い、数本アウトにした強肩は飛び抜けていた。

ただし、レギュラー捕手のたび重なるけがと、盗塁阻止が大量失点を防ぐことに気づき、夏過ぎから夏芽を捕手で起用することが増えた。

それだけ肩の強さは魅力的だったが、マウンドに上げると制球に苦しむため、投手としては3番手の位置付けだった。

梅田ヤングスターズの小3のころ、千住リーグのリトルフィッシュ戦に登板した夏芽

梅田ヤングスターズの小3のころ、千住リーグのリトルフィッシュ戦に登板した夏芽

打力は粗削りだったが、不動の1番打者で、出塁すれば走り回った。

端正な顔立ちの割に、走り出すと前しか見えないようなところがあり、コーチ陣が何度も「暴走だぞ」と注意していた。だから、ランナーコーチをしているのには、少々驚いた。

夏になり、足立区内の選手で選抜チームが作られることになり、セレクションに参加してエースの竹之内憲心(現江戸川中央シニア)とともに合格した。

実力は申し分ない上に、主将を任せてよかったと思ったのは、プレー以外の部分だった。

例えば、6年生はチームの道具を倉庫から運搬する役割があるのだが、夏芽は必ず大きくて重い物を選んで運んでいた。

主将だからというより、彼の仲間を思う気持ちなのだと感じていた。小さくて軽い物を選んでいた選手も、夏芽の姿を見て、気付く選手は変わっていった。

低学年のころは、どこか自己中心的な感じもあったが、リーダーシップのあるたのもしい選手になっていった。

梅田ヤングスターズで小6の春先、先頭に立って荒川河川敷の土手を走る夏芽

梅田ヤングスターズで小6の春先、先頭に立って荒川河川敷の土手を走る夏芽

元プロ指導の強豪シニアへ

チームも日を追うごとにまとまっていき、大きな大会で目立った成績こそ残せなかったが、秋には11連勝するなど、楽しく監督をさせてもらった。

冬になり、6年生を軟式、硬式問わず足立区から通えるクラブチームの体験会に連れて行った。

夏芽は独自で調べたチームを別行動で見学した。最終的に東京神宮を選んだ。神宮外苑の室内練習場など数カ所ある練習場所は、どこも自転車で通えるような距離ではなく「中学生は地元で野球をやるもの」という先入観に凝り固まった私にはなじみのないチームだった。

試合前のウォーミングアップで夏芽を中心に盛り上がる東京神宮ナイン

試合前のウォーミングアップで夏芽を中心に盛り上がる東京神宮ナイン

プロ野球ヤクルトの元ヘッドコーチだった丸山完二氏、同じくヤクルトで好打の遊撃手だった水谷新太郎氏が指導に当たっていることは知っていた。

現在指揮を執る新田玄気監督も、ヤクルトの元捕手という、都内だけでなく他県からも有力選手が集まる強豪クラブチームで、私の自慢の「教え子」がどんな2年4カ月を過ごしたのか? 記者としてというより、元監督としても興味がわいてきた。

1回戦敗退から1週間後、最寄り駅前のファーストフード店で夏芽と待ち合わせた。何から聞けばいいのか、迷いもあったが、まるで新人選手や新人歌手を前にしたように、基本的なことから聞いてみた。

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編集委員

久我悟Satoru Kuga

Okayama

1967年生まれ、岡山県出身。1990年入社。
整理部を経て93年秋から芸能記者、98年秋から野球記者に。西武、メジャーリーグ、高校野球などを取材して、2005年に球団1年目の楽天の97敗を見届けたのを最後に芸能デスクに。
静岡支局長、文化社会部長を務め、最近は中学硬式野球の特集ページを編集している。