【少年野球に迫る第10弾】聴覚障がいのマー君がもたらした勝利/前

中学硬式野球ボーイズリーグ東京東支部、荒川ボーイズの「マー君」こと石村将大外野手(3年)は、生まれつき聴覚障がいがあり、ほとんど音が聞こえず、声を出して話すこともできません。それでも、小学3年生から6年4カ月、硬式野球に取り組みました。中学野球ではなかなか先発出場できませんでしたが、最後の大会で、それまで公式戦で1回しか勝ったことのないチームを決勝トーナメントに導きました。ハンデキャップを克服した涙の物語か…。そう語りきれない「リアル」がそこにはありました。前後編で配信します。

その他野球

7月に3年生最後の合宿を行った荒川ボーイズ。後列右端がマー君

7月に3年生最後の合宿を行った荒川ボーイズ。後列右端がマー君

楽天田中にあやかって

マー君が生まれたのは2009年(平21)8月25日。父淳一さん(50)によると「楽天の田中投手にあやかりました」そうで「将大(まさひろ)」と命名された。

荒川ボーイズのマー君誕生の2日後の2009年8月27日、当時自己最多の12勝目を挙げた楽天田中

荒川ボーイズのマー君誕生の2日後の2009年8月27日、当時自己最多の12勝目を挙げた楽天田中

楽天田中将大は駒大苫小牧高の2年で夏の甲子園優勝、3年の夏は決勝戦で「ハンカチ王子」こと早実・斎藤佑樹と投げ合い、延長15回の激闘を演じた。

田中は再試合で敗れ、準優勝に終わったが、大会後におたがいを「佑ちゃん」「マー君」と呼び合って以来、「マー君」が定着。楽天に入団した翌07年に11勝を挙げ新人王、2年目は9勝、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表に選出された3年目は開幕から絶好調で、4月の月間MVPを獲得。

荒川ボーイズのマー君が誕生した8月は1カ月で4勝を挙げ、再び月間MVPを受賞するなど、大エースへと順調にステップアップしていた時期だった。

勝負運の強さを感じた当時の野村克也監督が「マー君、神の子、不思議な子」の名言を残して話題にもなった。

同じ漢字の「将大」だから、荒川ボーイズでもニックネームは「マー君」。ただし、本人を後ろからどんなに大きな声で呼んでも、聞こえないから振り返ることはない。時々、かすかに聞こえるからと、左耳に補聴器をつけた時期があったが、長続きはせず、外していた。

ただし、チームで耳の聞こえないマー君のために特別な対策はほとんどなかった。

外野からの中継プレーでマー君の送球を受けることの多い久我元太主将(3年)は「大きめなジェスチャーをするようにはしています」というが、目立つほどではなかった。

捕手の小此木一太(3年)は「石村が一塁を守っている時はやらないサインプレーが1つありました」と打ち明ける。声をサインにして、野手が動くプレーを封印したぐらいが、具体的な対策だった。

それぐらい、マー君は自然にプレーしていた。だから、相手チームのほとんどが、事情を知らずに、気付くこともなく試合をしていたと思う。

一塁の守備位置からライトにアウトカウントを確認するマー君

一塁の守備位置からライトにアウトカウントを確認するマー君

2打席目と3打席目

マー君への取材は、質問書に文章で答えてもらう形で進めた。

「2年4カ月で最も印象に残ったプレーは」の問いに「最後の大会の渋川ボーイズの試合の時の2打席目です」と書かれていた。

<ゼット杯第7回日本少年野球東京東親善交流大会>◇7月20日◇東京・志村ボーイズグラウンド◇予選リーグ・渋川ボーイズ戦

マー君は5番一塁で先発出場した。普段は代打での出場が多く、守備に就いてもレフトかライトが多かった。

ゼット杯は関東のボーイズリーグのローカル大会。夏のビッグイベント「日本選手権予選」も「ジャイアンツカップ予選」もすでに終わっており、全国大会出場を逃した3年生の花道にするチームが多い大会だ。

初日に三つどもえを行い、上位2チームが決勝トーナメントに進むことができた。

3年生12人、2年生3人、1年生12人の荒川ボーイズは、2つの大きな予選ともに初戦で敗退した。

特に選手権予選は、3点リードの7回裏に4点を奪われ逆転負け。この世代は石井達一監督が「いつも最後に逆転負けばっかり」と評するこぢんまりとしたチームだった。

3年生最後の大会はなんとか白星で飾りたい。そのためだけではないが、大会直前に2泊3日の合宿も行った。

そこでマー君は打撃好調をアピールしていたし、最後になるかもしれない2連戦を総力戦で臨もうという石井監督の親心もあっての、先発起用だと推測した。

渋川ボーイズはベンチ入り11人とさらに小所帯だった。

東京・板橋区の志村ボーイズグラウンドでの第1試合に向けて群馬を出発したのは、午前4時台だったという。それでも、先発左腕のボールは力強く、荒川ボーイズは3回裏までバントヒット1本だけ。0-2で4回裏を迎えた。

ゼット杯のマー君はしぶとくボールに食らい付いていった

ゼット杯のマー君はしぶとくボールに食らい付いていった

2死走者なしから、4番でエースの土橋篤人(3年)が右越えの三塁打を放つ。

ここで2打席目のマー君。チャンスになるほど、力が入り、レフトを向いてフルスイングする。その繰り返しだったが、この打席は2、3球目のファウルはタイミングが合っていたのか、真後ろに飛んだ。4球目の内角高めのつり球は見切ってボールに。5球目の外角カーブはしぶとくファウルにした。

第3打席のマー君。集中力が増していった

第3打席のマー君。集中力が増していった

追い込まれても粘るマー君は6球目。外角高めをライト前に運ぶタイムリーを放った。

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編集委員

久我悟Satoru Kuga

Okayama

1967年生まれ、岡山県出身。1990年入社。
整理部を経て93年秋から芸能記者、98年秋から野球記者に。西武、メジャーリーグ、高校野球などを取材して、2005年に球団1年目の楽天の97敗を見届けたのを最後に芸能デスクに。
静岡支局長、文化社会部長を務め、最近は中学硬式野球の特集ページを編集している。