[ 2014年2月15日9時26分
紙面から ]男子フリー
イナバウアーを決める羽生(撮影・井上学)<ソチ五輪:フィギュアスケート>◇14日◇男子フリー
フィギュアスケート男子シングルのフリーが行われ、羽生結弦(19=ANA)が日本男子初の金メダルを獲得した。フリーで178・64点の演技を見せて、合計280・09点で完全優勝。国際スケート連盟(ISU)公認大会で初の100点超えを達成した前日13日のSPに続く会心の演技をみせた。羽生は24回目の五輪王者となったが、欧米人以外で頂点を極めたのは初。男子シングルでの10代での優勝も、48年サンモリッツ五輪を18歳202日で制したディック・バトン(米国)以来66年ぶり史上2人目となった。
「ありがとう」と言葉を発して滑り出した羽生の演技は、厳しいものになった。だが、あえぎながら、耐えながら滑りきった先に栄光は待っていた。
冒頭の4回転サルコー、今季は5回で1回しか成功がなかった鍵のジャンプで、右半身から大きく転倒した。2本目の4回転トーループは成功させたが、続く3回転フリップでまさかの両手をつくミス。2つの転倒で体力を奪われながら、最後まで力を振り絞る。フィニッシュポーズで座り込むとしばらく立つこともできなかった。その10分後、1つ後に滑ったチャンの点数が下回ると、19歳の勝利が事実上決まった。
前日13日のSPでは、歴史を動かした。史上初の100点超えとなる101・45点を樹立。4回転トーループに始まり、全要素で加点を稼ぎ、「日本人として、この演技を誇らしげに思う」と大台を突破した。極東の19歳の若者が、欧米が席巻してきたフィギュア界に大きな軌跡を残した。
その直前には「皇帝」とその恩師から、後継者に指名されていた。滑走順が前だったプルシェンコが腰痛で棄権、そして引退発表。直後、「ハニュウ、チャン、フェルナンデス」と金メダル候補を挙げ、もう1度、はっきりと続けた。「ユヅル・ハニュウだ」。
その指導者で五輪の金メダリストを3人も輩出した伝説的コーチのミシン氏も「勝つのはハニュウだ。彼にはフェノメナン(phenomenon)がある」と共鳴した。フェノメナンとは「非凡な人、不思議なもの、驚異」の意。100点超えの演技前に、予感するように名前を挙げた。
02年ソルトレークシティー五輪でプルシェンコの姿を見た時から、ドラマは始まっていた。髪形を同じマッシュルームカットにまねた少年時を振り返り、指導した都築コーチは「体のバランスが、氷の上に立っただけでも王子様みたいだった」「持って生まれたもの」と言う。きゃしゃなのに、しなやかさがあった。まさにフェノメナンだった。
それから12年。1つの時代を終えた「皇帝」の後を継ぐように、19歳にして世界の頂点に立った。4年後の18年平昌五輪はまだ23歳。五輪史上3人目となる2連覇へ向かって、羽生の時代を築いていく。【阿部健吾】