サッカー女子日本代表なでしこジャパンのFW千葉玲海菜(25=Eフランクフルト)は、故郷の福島・いわき市への思いを胸にパリ五輪のピッチに立った。

チームにアクシデントが頻発する中、全4試合に途中出場。前線を活性化させる重要な役割を担った。当初はバックアップメンバーとして選出され、試合に出場できるかは不透明だった。モチベーションを切らさずに準備を進めると、大会直前の規定変更によって出番が回ってきた。延長戦の末、0-1で惜敗した米国戦後は「まだまだ自分の実力が足りてないですし、得点という形でチームに貢献できなくて本当に悔しいです」。絞り出した言葉には、戦力としての自覚がにじんだ。

かつては想像もできない大舞台だった。小学5年だった11年、地元いわき市は東日本大震災で大きな被害を受けた。そこから約1年間、大好きなサッカーはプレーすることすらままならなかった。すずかけSSSとリベルダード磐城で千葉を指導した長岡芳明さんは「原発の影響で放射能が分からないから、とグラウンドを使えませんでした。チームの事務局をお願いしている方が所有するビルの3階の壁をぶち抜いて、安い人工芝を敷いて屋内施設を造りました。1年弱はそこで練習しました」と、当時を振り返る。

活動は、年代ごとに時間を分けて行った。部屋の真ん中の鉄柱には、ケガを防ぐためにマットを巻いた。基礎練習がメインで、実戦形式は5対5のミニゲームがやっと。1階の飲食店から苦情を受けて、何度も頭を下げたという。

あれから13年。千葉のプレーする舞台は、ビルの中から何万人もの観客が熱狂する五輪のピッチに変わった。昨年、オーストラリアとニュージーランドで行われた女子W杯に続く主要国際大会への出場。11年のW杯優勝に勇気をもらったという千葉は「自分自身も被災した時に本当に力をいただいた。スポーツの力というのは本当に無限大だと思うので、そこを証明できるように」と、強い決意でパリのピッチを駆けた。

ただアタッカーとしては無得点に終わり、チームも8強で涙をのんだ。悔しさをかみしめるように、「これからのサッカー人生で生かしていきたい」と短い言葉に決意を込めた。見据えるのは3年後の女子W杯、そして28年ロサンゼルス五輪。31日からは、ブンデスリーガでの戦いが幕を開ける。スポーツの力を示すために-。千葉の歩みは続く。【佐藤成】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

なでしこジャパン千葉の出身チームリベルダード磐城(撮影・佐藤成)
なでしこジャパン千葉の出身チームリベルダード磐城(撮影・佐藤成)
パリ五輪サッカー女子日本代表なでしこジャパンFW千葉玲海菜の出身チームリベルダード磐城(撮影・佐藤成)
パリ五輪サッカー女子日本代表なでしこジャパンFW千葉玲海菜の出身チームリベルダード磐城(撮影・佐藤成)
パリ五輪サッカー女子日本代表なでしこジャパンFW千葉玲海菜の出身チーム、リベルダード磐城の長岡芳明さん(撮影・佐藤成)
パリ五輪サッカー女子日本代表なでしこジャパンFW千葉玲海菜の出身チーム、リベルダード磐城の長岡芳明さん(撮影・佐藤成)
パリ五輪サッカー女子日本代表なでしこジャパンFW千葉玲海菜の出身チーム、リベルダード磐城の長岡芳明さん(撮影・佐藤成)
パリ五輪サッカー女子日本代表なでしこジャパンFW千葉玲海菜の出身チーム、リベルダード磐城の長岡芳明さん(撮影・佐藤成)
リベルダード磐城の長岡芳明さん
リベルダード磐城の長岡芳明さん
パリ五輪サッカー女子日本代表なでしこジャパンFW千葉玲海菜の出身チーム、リベルダード磐城の長岡芳明さん(撮影・佐藤成)
パリ五輪サッカー女子日本代表なでしこジャパンFW千葉玲海菜の出身チーム、リベルダード磐城の長岡芳明さん(撮影・佐藤成)
パリ五輪 日本対スペイン 後半、果敢にゴール前に攻め込むも阻まれる千葉(2024年7月25日撮影)
パリ五輪 日本対スペイン 後半、果敢にゴール前に攻め込むも阻まれる千葉(2024年7月25日撮影)