2012~14年にかけて史上初の高校バレーボール6冠(2年連続でインターハイ&国体&全日本高校選手権=春高)を達成した星城(愛知)が、4年ぶりに春高に帰ってくる。男子日本代表のエース石川祐希(ミラノ)ら多くのトップ選手を輩出した名門は、県予選準決勝、決勝と2試合連続フルセットの末に勝利し、15回目の出場権を獲得した。
そんなチームを支える心強い存在が、昨季Vリーグで優勝に輝いたジェイテクトのセッターで高校6冠時のメンバー、中根聡太コーチ(24)だ。Vリーグ優勝を置き土産に突然の現役引退。今春から保健体育の教員として採用されて母校に戻ってきた。自身も指導を受けた名将・竹内裕幸監督(45)の右腕となり、日本一奪還を目指す。
■アドバイスは端的で的確
春高開幕まであと3週間に迫った12月中旬、部員30人が練習に励む体育館は活気に満ちていた。「さー、行くぞ!」とひときわ大きな声を上げて仲間を鼓舞するのが、ミドルブロッカーの沢村世栄主将(3年)。昨年の男子U19(ユース)世界選手権代表の山崎真裕(3年)は、196センチの恵まれた体格を生かして重いスパイクを打ち込みエースの風格が漂う。
練習をじっと見ていた中根コーチは、気が付いたことがあると部員を呼び止めて指摘した。「練習からそのボールを拾えないと、試合で起きたときどうするんだ?」「相手に的を絞らせないトスをしなきゃ」。アドバイスは端的で的確。明確な答えは出さず、あえてヒントを与える。選手の主体性を重んじる指導を経験し、コーチとなってもそれを受け継いでいる。
■高校史上初の6冠王者輝く
11年、バレー界で今なお語り継がれるスター軍団が入学した。石川や武智洸史(JTサンダーズ広島)らは、公式戦99連勝と実に2年間負けなし。圧倒的な強さを誇り「奇跡の世代」と呼ばれ、史上初の2年連続で高校3冠を達成した。そんな世代の1人が中根教諭だ。身長173センチと小柄なセッターは、絶対的なエース石川の爆発力を引き出した。
子どもの頃からバレーボールが大好きだった。ただ父からは「バレーでご飯を食べていくのは大変だよ」と諭され、自身も周りの選手と比べてサイズがなかったのでプロは難しいと思っていた。それでも生涯関わっていきたいという思いに変わりなかった。将来は指導者の道に進み選手育成で貢献したいと考え、中学生の頃から教員志望。高校卒業後は筑波大へ進学、そこでインカレ準優勝を2度手にした。実績を買われ地元ジェイテクトから誘いを受けた。選手としてもう少しチャレンジしたい思いが勝り、Vリーガーとなった。
2年目の18-19年シーズン、控えに回ることが多くなった。ベンチからも外れて試合を外から眺める日々。その頃、かねて指導者向きと見ていた竹内監督から「戻って来ないか?」という打診を受けた。星城に戻って一緒にオリンピックの舞台に立つ選手を育てよう-。恩師の言葉で覚悟が決まった。「セッターとして身長が小さく、高さが劣ることを感じていました。トスの能力などVリーグのレベルと比べ、自分の実力が足りないと思っていた」と振り返る。
現役生活最後として臨んだ19-20年シーズンはレギュラーセッターとして活躍した。1本、1本のトスの細部にまでこだわり、納得のいくまで練習した。今や日本代表エースに成長した西田有志らの黒子として攻撃を演出した。20年2月29日、宿敵パナソニックとの優勝決定戦でフルセットの末、初優勝を勝ち取った。「初優勝で新たな歴史を作ることができ、有終の美を飾れて出来過ぎなくらいです」。一切の悔いなく、24歳にして第2の人生を歩み出した。
若くして指導者の道に進んだことについて、竹内監督は大きな期待を寄せる。「20代で指導者を始めることがいい理由は、たくさん失敗を経験できるからです。未熟でも失敗を糧に学んでいき、自分の理想の指導者像を見つけてほしい」。赴任前には部員たちを集め、OBがどんな決意で戻ってくるのか説明した。「まだまだこれからもバレーボール人生を楽しめたのに、優勝という最高のシナリオで引退を決めて星城に来る。Vリーグで活躍した先生から教われることほど貴重なことはありません」。各部員が重く受け止め、チームの士気は高まった。
■勝負に執着心にデータ指導
竹内監督が築き上げた自主性をモットーとする星城バレーボール部。勝つことにこだわる余り、独りよがりな行動をすることを良しとしない。学校関係者や保護者から「応援されるチーム」にならなければならない。そんな理念に共感して進学を決めた部員は少なくない。「普段の生活をしっかりして、周りに気を配れるプレーヤーになることが大事」と沢村主将。そこへ中根コーチの加入により、さまざまな変化が生まれている。
練習映像を逐一録画して下校後すぐに各自の携帯で見られるようにしたり、選手起用でも積極的に下級生を起用したり。竹内監督は「彼は高校生の頃から負けず嫌いな選手でした。その情熱がチームに大きな変化を与えています」。下校中にも部員同士で競技のことを話し合う雰囲気が、新たな取り組みのおかげで高まったと感謝する。沢村主将も「勝負に対する執着心が強く、そのためにどんな技術が足りないのかデータで示してくれます」。大学やVリーグで行われている最先端の取り組みを紹介してくれるのをありがたがった。
新型コロナウイルスの感染拡大により、春には練習が約2カ月間近くできなかった。自粛期間中は、沢村主将を中心に部員に呼び掛けて週2回ほど私設体育館を利用して、練習を重ねた。学校が再開されてからも、県内独自の移動制限により夏場は試合が組めなかったこともあった。ただ、指導陣が伝える言葉の一つ一つが、自粛期間を経て一層身に染みるようになったと選手たちは振り返る。そんな中でも手にした全国の切符だった。
■逆に生徒たちから学ぶことも
中根コーチには、今の3年生が愚直に頑張り続けられる世代に映る。夏場にバレー部恒例のインターバル走をしていた時、先頭に立って引っ張る最上級生の姿が印象に残った。「持久走を見れば、そのチームの様子がなんとなく分かるんですよね。しっかり追い込んでいたので、これは強くなるなと思ったんです」。
競技の面白さも厳しさも肌で知る新人コーチには、毎日が発見の連続だ。「教えるということ自体初めてですから、うまく伝わらず歯がゆくなることもあります。逆に生徒たちから学ばせてもらうことが多いです」。恩師として慕う竹内監督ら様々な指導者を色に例えて「自分はまだ何色になりたいのか、どんな色に染まれるのか。いろんな色の指導者を見て、自分の色を見つけようとしている段階です」と冷静に受け止めている。
学生スポーツに再び関わるやりがいついて話題を振ると、中根コーチの目がひときわ輝いた。「毎年最上級生が引退するという場面に立ち会う。先輩たちと最後の戦いに挑む華やかさと寂しさを体感できたのはVリーグにはない面白さなんです」と声を弾ませた。
春高出場権を懸けた県大会決勝の大同大学大同高戦で、今なお抱く後悔がある。中盤まで相手にリードされる厳しい展開の中、セッターに配球の指示を出した。「勝つためとはいえ、今でも反省しています。セッターは相手の意表を突くプレーができた時の快感が面白いのに、指示を出してその機会を奪ってしまった。何よりチームが大事にしている自主性を育むことになりませんから」。失敗を経験しながら次に生かす光景は、現役時代と変わらない。
そんな中根コーチの姿に、部員たちも信頼を寄せる。練習メニューの組み立てなどで毎日2人で話をするという沢村主将は「雲の上の人のような存在だったので最初来ると聞いたときは、びっくりしました。データを用いながら、感覚でやっていたことをきちんと落とし込んでくれる。バレーIQがとても高いと思いました」。エースの山崎は「練習開始からずっと見てくれるので、ピリピリした良い緊張感がある。Vリーグにいた経験をチームに注入してくれています」と振り返る。
■「あの感動をもう1度」日本一へ
コロナ禍で今年は主要大会が相次いで中止となった。そんな苦境にあっても、3年生を中心にチームを引っ張ってきた。沢村主将は、部のモットーである「感謝の気持ちを忘れずに!」の思いを胸に秘め、次の世代に残す戦いぶりを見せたいとの思いが日増しに高まっている。「下級生に強いチームの姿を見せたい」と自信をのぞかせる。エースの山崎は「後輩たちには『試合中に困ったときは俺を見ろ』『俺にトスをあげれば決めるから』と言ってます」と頼もしい。
竹内監督は「選手たちのおかげで、これまで鳥肌が立つような瞬間に何度も立ち会わせてもらいました」。そう話した上で「今度は指導者になった中根が『日本一』を獲得する姿を側で見るのが私個人の夢になっています」とも明かした。
全国大会優勝8回の実績を誇る名門が4年ぶりに帰ってきた春高の舞台。無観客となる5日の初戦で崇徳(広島)と対戦する。3年生にとっては最初で最後の全国大会、中根コーチにとっては、指導者になって初めてのひのき舞台だ。目指すは、星城バレー部を紹介するパンフレットにある言葉。「あの感動をもう一度」だ。【平山連】