ずっと心の中で追いかけ続けた五輪が、坂本の頭からも消えた瞬間があった。
「本当に(今季の)最初から『五輪に行こう』と思っていたけれど、ロシアのフリーで最初のジャンプをこけた瞬間に『五輪なくなったな』って思いました」
シニア1年目でグランプリ(GP)シリーズデビューだった昨年10月の第1戦ロシア杯。4位で迎えたフリー冒頭の3回転フリップで転倒。得点源として自信を持ってきた3回転トーループとの連続ジャンプにつなげられず、心はへし折られた。5位に順位を落とし、失意のまま帰国した。
課題の1つは自らの気持ちの甘さ。「五輪イヤーで空気がピリピリとしていて、その空気についていけなかった。自分の思うような演技が全く出来なくて、そこがつらかった」。普段から遊びにでかけるなど選手同士の交流が密なジュニアに対し、シニアは「普段でも本当に別行動だし、リンクに行ってもずっとピリピリ」な場所。周囲を気にするがあまり自分の可能性を、自分の手で消していた。
転機となった11月下旬のGPスケートアメリカまでの約1カ月間は、国内の2大会に参加。緊張感のある練習に加えて、他の有力選手を圧倒する試合数をこなした。日本時間11月26日のスケートアメリカSPで2位発進し、翌27日のフリーを経て自己ベストを15・05点更新。210・59点で2枠の五輪争いに急浮上し、12月の全日本選手権2位で初の五輪をたぐり寄せた。
中野コーチをも「あの花織が五輪ですよ」と驚かせた大舞台への歩み。シニアのピリピリ感も「なるべく先生と一緒に過ごすようにした。スケートアメリカの時も一緒に街をぶらぶらしました」と自分なりの対処法を見つけた。
今の坂本には1段階上の目標がある。「スケートアメリカ、全日本と2試合続けて210点を超えている。2回だとまぐれで、3回できたら本物だと思う」。辛口の中野コーチからは「丁寧にやるっていうことがなかなか続かなかったんですけれど、少し大人になって頑張れるようになってきました」と評された。米国での自信が、成長をまだまだ加速させる。【松本航】