プロレスラー、政治家として活躍したアントニオ猪木さんが亡くなった。北朝鮮を訪問し続けるなど型破りな行動で知られた。力を入れていた「スポーツ外交」とは、どういうものだったのか? 今から9年前の2013年5月20日、元陸上選手の為末大さんと対談し、自らの考えを余すことなく語った。その直後に猪木さんが参院選への出馬を表明したことから、選挙運動への影響を考慮して掲載は見送りとなっていた。生前の功績をしのび、当時のインタビューを公開したい。全4回の1回目。【構成=佐藤隆志】
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為末 猪木さんはプロレスラーとしていろんな国に行っています。一番の目的とは、どういうことだったのですか?
猪木 1つは力道山っていう師匠が戦後ね、何もない中で国民に勇気を与えたんだ。スポーツは多くの場合オリンピックとかそっちの世界に入るじゃないですか。私がやることはエンターテインメント。平和であるとかあるいは環境問題であるとか。この前はパキスタンで試合をやったけど、タリバンも抗争も何も起こさなかった。北朝鮮でもそう。このスポーツの持つもう1つの力が大事ってのはこれからの選手にどれだけ伝わっているでしょうね。何十万人もの観衆の前で試合をして人の心を動かした時の感覚。もっと言えば自分の手の上にみんなを乗せてしまう感覚というかね。これは体験してみるしかわからないんでね。
為末 スポーツ選手だからできるっていうのは大きいですね。僕はほかの国でプレーしたことはありましたが、プロレスみたいに主役になるというのはありませんでした。やはりスポーツ選手だから受け入れられる力みたいなものはありますか?
猪木 平和という言葉もそうですけど、スポーツ交流という部分では、あまり抵抗、否定されることはないです。危ない国もイラクとかいろいろ行きましたけど。スポーツ交流というのは(国家間が)硬直した関係の中では有効だと思います。
為末 「スポーツ平和党」という名前でつくられたじゃないですか。一体どういう思いで「スポーツ平和党」と名付けられたんですか?
猪木 自分が持っている平和主義というかね、何で戦争なんかやるんだろう? その時代にさかのぼってみないと本当のところは分かりませんけど、戦争映画なんか見ていると、今から見れば非常に愚かなことをやっていると思います。人の命は地球より重し、って言葉があっても、そうじゃない現実もありますからね。
要するに日本って国は原爆を受けて敗戦している。世界にもっとそういう国から体験したことを伝えないといけないですよね。始めた当時はそんなに深くは考えてなかったですけど、最近は特にそれが大事だと感じる。憲法9条のことだって、海外にいくと誰も知らないよね。そういう意味でも、もっと外国にメッセージを届ける、アピールする必要があるなと思っています。
為末 日本だから発せるメッセージみたいなものを、スポーツを通じていろんな国に発信していくということでしょうか?
猪木 そうですね。いろんなところから親善大使にならせてもらいました。最初はブラジルからもらって、パキスタン、北朝鮮も。ただスポーツを通じての親善大使と言っても、私のはプロスポーツ。プロってのが私にとってはとても大事だった。1989年、鉄のカーテンがまだ下がっていると言われた時代にロシアの選手を興行に参加させて、初めてスポーツ選手をプロ選手にしたんですね。これはプロを認めない社会主義のロシアとしては画期的だった。
彼らはオリンピックでメダルを取ったら、あとはもう年金生活なんです。まだこれから長い人生を年金だけもらって生きていく。そういう社会主義の国のあり方にプロというもう1つの道を提示したかったんですね。せっかく今までやってきたことのベースがあるなら、プロという形を取れば、お金も稼げるよ、って。そこで我々が初めてプロにスカウトして、扉が開いた。
今は中国ですね。難しい国で、上下があり、上には共産党の幹部がいる。そこに市場経済が生まれ徐々にプロ興行が生まれている。去年、上海で興行をやって大成功だったんですね。やれば間違いなく熱狂することがわかっている。90年ですかね議員になってすぐですが、ハルピンという所で試合をやりました。宣伝も何もしないで2日間やりました。プロレスってのは分かりやすい悪役がいる。そうすると3試合ぐらい見ている人はわかるわけですよ。ルールの説明もそんなにいらないから熱狂しました。そのあと中国は利権構造みたいになってしまって、ようやく最近解禁されたところですかね。
まだ発表はできませんが、キューバという国はアメリカとの60年来の経済封鎖を行っていたけど、キューバ自体も変わりつつあります。あそこはプロなんか絶対認めないという国でしたが、最近はプロの興行もやりましょうかという話になってきている。これから仕掛けていかないといけないことがいっぱいあります。
為末 最初に扉を開く時が一番大変だと思いますが、ロシアの選手を日本に呼んで興行に参加させたり、中国でやったり、北朝鮮でやったりと、最初は難しい点はありましたか? ルールや文化上これができなかったりとか。
猪木 やっぱり人ができない、やらないということは面白いっていう感覚があるんでね。だから、あんまり難しいとは考えていないし、結局思いは実現してしまう。世の中では非常に難しい。何で? と思われていることをそんなに難しく思っていない。結局、相手が喜ぶこと、相手が望んでいることをやればいいんです。どううまく説明するかは大事な部分はありますが。
為末 キューバのことも、アメリカとキューバの関係を理解しながら思いを持ってやっていけば形ができていくということでしょうか?
猪木 まあ民間がやることはしれたことかもしれません。最終的には政治決着が大事で、それが動かない限りは動かない。でもね、環境づくりというのですかね。それはできる。もちろん、歴史があって一筋縄にはいかない。我々で言えば一番身近なところは北朝鮮ですね。韓国との南北の問題もあります。要するになんでそんなにギクシャクするのかと。怒られちゃうかもしれないけど、何でそんなに小さなことにこだわってんだよ、みたいなね。結局、その指導者自体の器も小さくなってしまう。
(つづく)
◆アントニオ猪木 (本名・猪木寛至=いのき・かんじ)1943年(昭18)2月20日、横浜市生まれ。中学2年で家族でブラジルに移住。17歳で力道山にスカウトされ日本プロレス入り。60年9月にデビュー。72年3月に新日本プロレスを旗揚げ。柔道五輪金メダリストのルスカ(オランダ)、76年にプロボクシング世界ヘビー級王者アリ(米国)らとの異種格闘技戦でも注目を集める。89年にプロレス界初の東京ドーム興行を成功させる。同年に参院選に初当選。98年4月に引退試合。10年に日本人レスラー初のWWE殿堂入り。17年10月に両国国技館で生前葬を実施した。現役時代は現役時は190センチ、102キロ。
◆為末大(ためすえ・だい)1978年(昭53)5月3日、広島市生まれ。広島皆実高-法大。男子400メートル障害で世界選手権2度(01、05年)銅メダル。五輪は00年シドニー、04年アテネ、08年北京と3大会連続出場。自己ベストの47秒89は、現在も日本記録。12年6月の日本選手権で現役引退。現在は執筆活動、会社経営を行う。Deportare Partners代表。新豊洲Brilliaランニングスタジアム館長。YouTube為末大学(Tamesue Academy)を運営。